IE9ピン留め

タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414

癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
Bowwow diary
にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
H・Pに戻る
カテゴリ
全体
愛犬
コラム

易経

その他
スピリチュアル
未分類
以前の記事
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
最新のコメント
え。そうでしたか。。。。..
by kyouhei414 at 00:15
ご無沙汰です!!!! ..
by kyouhei414 at 23:37
存分にリゾート気分を生か..
by kyouhei414 at 10:27
ほーーーい。 しっかり..
by にゃんママ at 00:45
ちび太郎は情けない表情が..
by kyouhei414 at 21:24
ちび太郎の姿が目に浮かぶ..
by にゃんママ at 21:51
にゃんママさん、ありがと..
by kyouhei414 at 00:05
さくらちゃん、大丈夫そう..
by にゃんママ at 21:11
にゃんママさん、ありがと..
by kyouhei414 at 00:32
本当にお疲れ様でした。 ..
by にゃんママ at 00:24
お気に入りブログ
ライフログ
検索
ネームカード
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by kyouhei414
ブログ変更してみようかなって思い立ってからしばらく悪戦苦闘・・・・
なんだかバタバタ、コソコソやることがあって時間ばかり過ぎていってしまって気づいたらもう1月が終わるねぇ。ウソでしょ? 

実はブログを引っ越そうと思って、CMS ってヤツをやり始めた。それって何? という人もいるだろうが、簡単に言うなら自作するブログって事ですな。このブログはレンタルで借りていて、デザインは自分でしたけれどそのほかはテンプレートを使っている。ほとんどの人はこのようにレンタルをしてテンプレートを使って手軽にできるというのが利点で、ブログユーザーが一気に増えたという背景がある。
が、CMSってのは自由自在にテンプレートをいじって、自作のテンプレートを作ったりデザインも自由にできるとうもの。その自由度が利点でありレンタルに飽きてきたらCMSに乗り換える人もいる。

ただ、全くの素人なので案外時間がかかってしまってまだ完成していない。完成したらご披露させていただこうと思う。



ブログと言っても私の場合は何を書くかなど全く決まっていない気まぐれそのものであり、だからといって自分の事を大げさに書き綴り人気ブログにしようなどと考えたこともない。じゃ、どうして続けているのか? と聞かれると自分でも判らない。昨年末ごろから、心境の変化というか心の向く方向が少し違ってきたのかもしれないなとは思うが、相変わらず不精なことに変化はない。


ただ、一人私がとても心配している人がいてひょっとしたら気づいている人もいるかもしれないが、その人の連絡を待っている。ここで知り合った人で、とても心の清らかな愛情の深い人である。その人がいつ戻れるか判らないが、とにかく元気になって戻ってきてくれるのを待っている。

ダラダラと続けていただけのブログのように思われるかもしれないが、ここだからこそ知り合えた人や、ここだから会える人もいてその人もその中の一人である。
その人からも多くの事を教わったし、これからもまだまだここでお話がしたいと願っている。早く戻れる日が来ますように。
# by kyouhei414 | 2012-01-30 23:58 | その他 | Trackback | Comments(0)
ささみジャーキー制作リポート
ネットでささみを薄く切り開いてオーブンで焼くとパリパリのジャーキーができるっていうのを見た。もちろんワンコ用おやつのささみジャーキーである。

ところがうちんちのオーブンのスイッチがおかしくなって、ドアを閉めたときに圧力をかけないとオーブンのスイッチが切れてしまう。圧力をかけるために手でドアを押さえておかないといけないのだ。買い換えようかという話が出たが、ガメラの決意一つでどっちにも転ぶし、あえて買い替えを期待せずにいる。

でもジャーキーは作ってみたい。で、魚のグリルで試してみた。
これはあかん。固くなるのと水分と一緒にささみのうまみも出てしまう。イマイチだ。

ならばスモークできるあの道具を買うかな。。。。
待てよ。

ストーブがあるじゃないか!!!!!


うちは石油ストーブを使っているので、火をつけている間は煮炊きができる。しかし、ストーブの真上でスモークもどきはできない。あっさり焼けちゃうからねぇ。
要するに、ささみから余分な水分が抜けてさらに緩やかに火が通り、うまみが凝縮されたものが出来上がればよいのだ。
そのため、ストーブの片隅にホイルを置いて焼かない、煮ない、でも火が通る状態にしてみた。早速取り掛かる。
まず2つのささみを薄く切り開く。それをホイルの上に置く。次にストーブの隅っこに置く。レシピは以上。あ、頃合を見てひっくり返すのも忘れずに。

しばらくするとささみが汗をかいたように水分がかなり出てきているのを発見。それなのにホイルの上には水分らしきものが出た様子がない。つまり水分だけ抜けてうまみは出ていないと判断。これはイケル。
ただ、スモークとはいかないのでどんな仕上がりになるのか、味はどうなのか、など全く未知のまま制作を継続した。

じわりじわいりとささみから水分が抜けていくが、色が生ではないし焼いたり煮たりしたときの白さではないし、どちらかというと薄いピンクのような色になってきた。火が通っている証拠かもしれないなぁ。

1時間経過。上から触ってみるがまだ芯が生っぽい。
2時間経過。お? いけるんとちがう?


どうやら完成のようだ。
冷やしてから割いてみると、焼けてる!!!!ある意味感動。
よくオヤツで売っている、超柔らかいささみのオヤツがあるが、それに近い。魚グリルで焼いた時のようなパサパサ感はないし、しっとりしているが焼けている。そして柔らかい。ええじゃないの?
食べてみたがこれがまたウマイ


という事で、ささみジャーキーが完成。
ただ、時間の割りに出来上がる個数が少なすぎ。
あっという間に間食したが、またこれから2時間かかるのかよ?




めんどくっせ~



今日の一枚。
どこか不満そうなさくら。「何が不満?」 と聞くが
「機嫌が悪いのよ、アタシ」と言われている気がする。聞くんじゃなかった。。。。。

# by kyouhei414 | 2012-01-21 10:35 | 愛犬 | Trackback | Comments(0)
寒いのは判るけど
ところでお宅のワンコは、何処で寝ていますか? 一緒に布団でねていますか?
で、朝はあなたより早起きですか? それともあなたがワンコを起しますか?




うちのワンコたちは、朝起きません。私が起きても布団から出ません。
甘いんじゃ!!!!!!!
犬は早起きときまったもんだ!!!!



と、思いますがいかがでしょう? 私、、間違ってますか?



だって、朝起きないから布団をはねたら、また布団にもぐるんだもの。
私だって寒いんだ。
なのに、布団にもぐっていじけるなんて。。。。。


今日の一枚。
これは夜、布団に入って私の様子を伺っているところ。

# by kyouhei414 | 2012-01-15 00:24 | 愛犬 | Trackback | Comments(0)
あけましておめでとうございます
あけましてって、今頃って気がしないでもない。。。。

年始から忙しかったわけでもなし、特に何があったわけでもなし、気づいたら今日だった。なんとなくお正月から落ち着かなくて、2日には私が担当している講座の準備をやりはじめてしまったし、お正月らしく過ごす予定だったのにそんな気分にもなれなかった。



ところでみんなの初夢はなんだったかな? 私は、確かに夢を見たのに覚えてない。
で、おみくじはひいたかな? 私はまた大吉だった。昨年も大吉だったので2年連続だ。が、そんなことは当たり前かもしれない。というのも私が初詣をした時、3人で出かけたがその3人が全員大吉だった。おみくじのすべてが大吉なのでは、という疑いを持ったら隣にいた二人組のうちの一人も大吉だった。しかし、もう一人は小吉だったので全部が大吉であるはずはないが、大吉の確率が高すぎる。お正月用に準備したのか? という疑いは今も晴れていない。
それに、考えて見ればもし大吉の確立が高くて3人+隣の一人の4人が大吉だったということは、もう一人の小吉だった人の方が運がいいってことにならないか? と考えながら初詣を終えた。
そして、我が愛犬たちはお正月用に奮発させていただいたお肉には目もくれず、カニを欲しがる始末で一体あいつらの味覚はどこまで進化するのか少々怒りを覚えたのであった。



このパソコンに写真が保存していないので、せっかく作った年賀状をアップできないことに今気づいた。
そんなことで相変わらずの私ですが今年もよろしくお願いいたします。




# by kyouhei414 | 2012-01-09 23:42 | その他 | Trackback | Comments(0)
何かを新しく
父と恭平を亡くし、生きるという事に不思議な感じを持ち始め、布団に入ると、「どうして生きているのかな」と考える事も多かった。
自殺の名所で、ボランティア活動をしている人がいてそこで自殺しそうな人を見かけると声をかけて考え直すように導くという内容の事を放送していたことがある。その時、実際に考え直して社会復帰しようと努力している人も出ていた。
そういう番組を目にすると、命は自ら絶つことがいけないのか、という疑問さえ持つこともあった。ただ、ふと頭によぎった。「あの事故のときにもし私が命を落としていたら一体何が変わっていただろうか」ということだった。
今、こうしてテレビを見ることもないし、ジュディーとさくらと触れ合うこともない。あの時私の人生が途中で途絶えていたらそれでよかったのだろうか? とふと思った。

「まだ結婚もしていないし、やりたいこともやっていない。行きたい所だって行けていないし、ジュディーとさくらと楽しい生活だってしたい」とも思った。

つまり、私は自分の人生の中で何もやっていないと気づいた。大好きなゴルフができなくなってあきらめしなかく、趣味を楽しむという心さえ失っていた。
そして、何もやっていない人生の意味を考えていた。
おかしなことだと思うだろうが、極端な言い方をすると、何もしないで人生が終わるとしたらいつ人生が終わってもよいことになる。だって何もしないのだし、人生を歩いていないともいえるのだから。。。。。しかし、生かされたという事は何もしないでいつ終わってもいい人生を選択するここともできるが、少しでもいいから何かして人生を過す時間を与えられているということでもある。
ってか、この頃の私は余程ヒマだったんだろう。ヒマすぎて本当におかしなことを考えたものだと思う。
つまり何もしていないからヒマすぎるともいえるが。



父はまだやり残したことがある、と言っていたが、それは主に仕事だった。しかし、病に倒れてからの父は自分のやるべきことややりたいことはほとんどやった気がする。限界は”自分の体が動く限り”というものだった。釣りに出かけたときも「できるうちにやる」と言ったことがある。
そしてそれは病だからではない。元々父はそう考える人だと思う。仕事のことももうやれないと判っていたからやり残した、という感覚があったのだろうし、できるくせにやらない私とは大違いだ。
何をやるべきだろうか・・・・というのが本音であったがそれまでとは違い”何かをする”という感覚を持ったように思う。

スピリチュアルに出会ったのも偶然はないだろうと思う。スピリチュアルとであったというのもおかしな言い方だが、早い話がシルバーバーチの本を読んだことがそれを意味する。
さらに、何かに引き寄せられるようにスピリチュアルのレッスンクラスへ通うようになった。そこで知ったのが「人はやるべきことがありこの世に生まれてきた」ということである。
もう一つ、ホームページやブログを書きながらいつも書きたいと思っていたことが、死別の悲しみを乗り越えるための心の問題だったがこれにも大きなヒントがあったのだった。


もう一つ、結婚しないと決めた自分にも違った光を見せられたような気がする。

私は、自分で自分の自由を消していた。本当はもっと自由であっていいのだ。理解してくれる人がいれば結婚したってよいのだ。それまでは自分で自分の姿の一部を消しゴムで消していたようなものだった。具体的に言うと、体の絵を書いてそこに、心と希望も一緒に書いてみる。そして、傷ついた分だけ消しゴムで消していくのだ。すると、傷ついた所の痛みも消えるが大切なものも一緒に消えている、といえば判るだろうか。
これではやるべきことだって見つかるはずはない。
これからは、消してしまった大切な部分をもう一度書き直す作業が必要だと思う。そして、結婚という部分は完全に消えていたがしっかりと書き足そうと思う。
そう思えたのは本当に最近で、実際にはまだまだ書き足さないといけない。でも楽しい作業になりそうだ。




ただ、一つ問題がある。
結婚を書き足したのはいいが、文字だけ書き足してみたものの、肝心の相手がいない。
それって、一番問題じゃね?



とにもかくにも、絵でもいいから相手を書き込もう。
それしかない。
# by kyouhei414 | 2011-12-29 00:11 | その他 | Trackback | Comments(0)
父が倒れて
父が倒れた時のことは、闘病記に書いたとおりである。
今振り返ると、数年の間苦しんだ自分に生きる意味を投げつけられたような気がする。
「生きる」
って一体・・・・どんな意味があるのだろう。





どうしてあの事故の時に自分は死ななかったのか? と苦しさから逃げる方法すら探した夜もあった。今あの時の心のうちを振り返ると、できていたことができなくなり、普通だったことが普通だと感じなくなり、徐々に私を助けるものが3匹の愛犬たちだけだと信じ込みはじめ、他に楽しみさえ見つける気力もなくなっていくような感じだったと思う。


そして
「あと数ヶ月」と父が命の区切りを言い渡されたとき、運命を呪った。それは、自分の運命ではなく、父の運命だ。私のために頭も下げ、辛い心を察しているかのようにいたわり、私以上に3匹を可愛がり、そして懸命に働く父。なのに、どうして私じゃなかったのか?

・・・・と呪った。

闘病記を読んでくれた方の中にはきっと、どうしてあれほどまでに父の看病ができたのかと、疑問に思った人もいたかもしれない。背景にあったのがこういう気持ちだ。私を誰よりもかばい、私に生きる場所を差し出してくれた唯一の理解者だったのに、だからこそ父に親孝行をする時間がないことを後悔もした。

でも、私はあの事故の時に生かされたのだ。もし、あの時死んでいたら私は父の看病もできなかったのだ。私にはまだチャンスがあるのだ。これは、きっと神様が与えてくれた大切な時間だ。誰よりも父を幸せな父にすることだってできる。と、気づくのにそう時間はかからなかった。



そんな中で恭平を失った。
今度こそ自分の運命を呪った。
天は私から恭平まで奪うのか・・・・

この頃には、結婚などという文字はすっかり消えて自分の運命と向き合うので精一杯だったと思う。
やがて父は恭平の下へ行き、静けさだけが私の周りに残った。
ここから又数年間は、生きている実感が持てない日々が続いていく。というより、生きている実感を持てずに生きることが当たり前だったのかもしれない。その頃の日記は振り返ったこともないが、読み返すのも怖い。
ただ、多くの人が私の父の闘病記を読みメールをくれるようになっていた。guestbookでもブログでも誰かがいてくれた。誰かのために動こうとすれば動けるし、生きられるという事だったのかもしれない。

相変わらず結婚をしないと決めたまま、何年という時間が過ぎていったのだが、その間に心が動くことはなかった。そして、父がいなくなる=職を失うという事でもあったので、私は仕事を探し始めた。しかし、事故の後遺症がまだ治っていなくて、一日中働くことが難しくアルバイトとかパートの仕事についた。
この頃、さらに私の「結婚しない」決意が固くなる。何故かというと、最初は半日程度の仕事をしていたがそれでも体が持たなかった。後遺症が出るのである。想像以上にひどく、「これで結婚したら相手に迷惑がかかる」これが決意を固くした原因だ。さらに、収入が極端に少なく貧乏一直線だ。



孤独
貧乏
不健康

これだけ揃えば十分だろう。


続く



ここまで書いて気づいたが、この話暗すぎね?
クリスマスだぜ?
この話は先に延ばしたほうがよくね?
お正月だって来るんだよね?
# by kyouhei414 | 2011-12-23 22:05 | その他 | Trackback | Comments(0)
自由が奪われる
そのショックはやはり相当私を苦しめた。
婚約解消を決めた時彼があることをつぶやいた。その時に、価値観が全く違っていると気づいた。私に合わせようとしていたのだろうと思うが、それに気づかなかったことも私の悪いところだろうかと悩んだ。

そんなある日、交通事故を起した。私は悪くなかったがとにかく想像以上にひどい事故で、相手の車は反対車線にあった家をも壊した。私はその時大きな車に乗っていた。それは父がトランクが小さいから乗らない、と言い私に与えた車だった。その大きな車であったからこそ私は一命をとりとめたという大きな事故だったのは確かだ。

救急病院に救急車で運ばれて退院まで3ヶ月近くかかった。最初は絶対安静を強いられたが、動けるようになっても歩けなかった。車椅子が私の足となりリハビリに苦しみながらも、なんとか杖をついて歩けるほどになってやっと退院を許可された。恭平は私に捨てられたと思っていたようで、病院に連れてきてもらったときはかなり落ち込んだ姿を見せた。私もかなり苦しかった。どうしてこんなことになったのか。。。。恭平の下に帰りたい。


そして、退院した後も後遺症が残り大好きなゴフルはもちろんできなくなり、退院しても2年ぐらいは通常の生活がしにくく、起きていられる時間が通常の半分ぐらいしかないという生活だった。
それでも4年を過ぎた頃だろうか。普通の生活に戻りそして恭平とジュディーとさくらがいてくれる生活に癒されていた。



そんな生活の中で
私がゴフルができない程の怪我を負うことも、天罰だろう。
そんな私が結婚を望むなんていけないだろう。
人を苦しめたのだから自分が罪を償うまでは結婚なんてしてはいけないにきまっている。




と、自分の心がつぶやく。
いや、私は結婚しないと決めた。そうすれば罪が少し軽くなるのだろうと考えた。
結婚はしない。したくもない。私は自分の自由を捨てた。





父は
「おまえがこの家にいたいのなら、いつまでこの家にいてもいいぞ」
と言った。
それは
「結婚ができないほど苦しい思いをかかえているのなら、安心できるこの家にいろ。苦しむことはないんだからな」と言う意味だった。



そんな父が病に倒れる。


# by kyouhei414 | 2011-12-22 18:20 | その他 | Trackback | Comments(0)
で、その後
その後って言うのも変だけど。。。。。

自分で思い込むことがどれほど良くないことか、最近知った。
前の続きになるが、私が結婚をしないと決めたのはいろいろ理由があったのだが、実際には思い込んでいただけだと分かった。

あの時、どうしてそう決めたのか。
あれはもう何年も前のこと。当時の私はゴルフが大好きであちらこちらへ飛び回り大好きなゴルフと恭平との生活だった。
そんな時、一人の男性と知り合い恋愛になり、そして結婚を決意した。どうして結婚を決意したのか? それには複雑な自分の心が関係している。それはまた別の機会にするとして。
で、その人と結婚をするのなら今までどおりゴルフができるかどうかもわからないほどのお金のない結婚になるはずだった。しかし、お給料からすればそれなりの生活はできるだろう。生活だけできればそれでいいよ、恭平とも一緒に暮らしてくれると言っているし。。。。ということで結婚の話がどんどん進んだ。
ところが、ある父の一言で思わぬ方向へ行く。
その父の言葉が「気をつけろよ」だった。
婚約を解消するかどうか迷い始めたときに父にどうしてあの言葉が出たのかを聞いた。彼はハンディキャッパーでその原因が仕事にあった。そのため大金を急に手にして人生が狂いだす人がいる、というのだ。たいしたハンディは持っていなくてそのときはほかの人とも変わらず生活も仕事もこなしていた。だからそれほど大金を手にしたとは思えなかった。

話は戻り、まだ順調に付き合っていたある日のこと。日曜日の午前中は野球があるという。草野球チームに入っているのでそれが日曜日の午前中だというのだ。だから日曜日のデートはいつも午後からだった。私が野球の試合を見に行く、と言ったら「来て見るほどの試合じゃない」と言った。それで私はおかしいと思い始めた。

このころはまだ結婚など考えていなかったし、結婚自体もする気があまりなかった。しかし、私の別の問題から徐々に結婚を考えるようになっていった。その問題というのは私にある複雑な心理状態が原因だ。
とにかく父に会い、結婚をすることになったのだが、そのころから急に何か引っかかるようになってきた。そして彼にはお金の問題があることが発覚した。野球のことも嘘だと分かった。「気をつけろ」という父の言葉が現実になった瞬間だった。
それから数ヶ月の間のことは省略するが、とにかくいろいろなことを乗り越え婚約をした。後は新婚旅行先を決めるだけという挙式まで2ヶ月をきっている。しかし、また新たな問題が発覚した。
それは、私の性格を変えるほどショックでどうすべきかかなり悩んだ。その問題は疑いというだけで証拠がなかったのだ。時間だけが過ぎる中、彼との距離が遠くそして信頼がまったくなくなったことに気づく。
私は仏壇に手を合わせ「どうしていいか分からない。証拠があればすぐに心が決まる。どうか私に決断できる証拠を見せてほしい」とお願いをした。今思い出してもあれほど懸命なお願いをしたことがあっただろうかというほどかなり一心不乱にお願いをした。その1週間後ぐらいだったと思う。本当にひょんなことから証拠が見つかった。祖父母と先祖の方たちが私に力を貸してくれたことを実感した。そしてこれはただ偶然ではなく結婚するなということだろうと直感したのだった。
すぐに家に帰り、父に相談をした。
「今すぐやめろ。親戚中に頭を下げてやる」と言った。
そのときの母の言葉は私の複雑な心理状態と関係しているのでいつかまた話そう。
とにかく、その父の一言で私は婚約解消を決めた。挙式まで3週間ほどだった。すぐに準備をして挙式をキャンセルしたのが挙式2週間前だった。

そして、それを知った友人たちが励ましてくれたりして一日も早くこのことは忘れようとしていた。しかし、友人の数人に裏切られたのだった。その裏切りの詳細を話すのは難しいが、簡単に言うと「人には言わないから」と詳細を聞きまくって帰っていき、その後その内容をぶちまけて世間に広がってしまったこととか、ずっと疎遠だったのに駆けつけてくれて、「友達だから」と話を聞いてくれて、でもその後私には会いにくることすらしなくなった人もいた。ほかにも数名の人の裏切りがあり、とにかくそのころの私はどん底だった。
当時は友人も多いほうだったが、それをきっかけに付き合いは減り家にこもるようになり、外出さえ億劫になった。そんな中、さらに私に悪い知らせが入った。
彼の友人に偶然会ったことがある。その友人が
「あいつ、あれからどうしたか知ってるか?」と聞く。
「あれから行方不明になったんだ」
と言われた。


その一言が私を結婚しないと決意しさせたものだった。
私はそれほどまでに悪いことをしたのだ、不幸にしたのだ、という思いは私をひきこもらせるのに十分な理由になった。


長くなったのでまた明日。
# by kyouhei414 | 2011-12-22 00:15 | その他 | Trackback | Comments(0)
風邪をひいた
自分の事を語り始めたら、風邪をひいてしまった。微熱だったりのどが痛かったりで、完全に寝込むほどではなかったけど、パソコンに向かうほどでもないという中途半端な体調が続いた。なんとか復活したものの、人が興味のない話などするなと言われているのかもしれない。

その話はまだまだ続く予定だったけど、今日は気分を変えて幸せなジュディーの事を記そうと思う。これは、大した話ではなさそうだが、実は案外深いと感じた。




ここ数日、体調が悪くのども痛くて声が出したくなかった。寝ていてものどがイガイガするし、直ぐにのどが渇いてしまって眠れないし、という状況だ。そんな時のこと。。。。。昼間に少し横になっていたのだが咳が出た。その時、ジュディーが私の横にいたが私の顔を覗き込み、なめようとする。どうやら、耳が遠くなったといっても近くにいれば聞こえるようだ。前から時々、ジュディーの後ろから話しかけてみたり、どれぐらいの距離で聞こえるかを試してはいたので、相当耳が遠いことがわかっていた。
しかし、卑屈になるとか、自分の名前が呼ばれないことを悲観したりするような様子はなかった。それがいいところでもあるのだが。

が、この日は私の咳に反応してみたり、じっと私を見つめていたり、普段とは少し違う様子だった。そして夕方になりご飯の時間が近づいてきたら、私を起そうとする。が、声が出したくないので口だけで「ご飯?」と無声で言うと、じっと私の口元を見て何かを判断しているのがわかった。もちろん、今までもそうだったのであえて取り上げるほどのことでもないのだが、このときと違って普段は私は声を出している。ジュディーが聞こえるか聞こえないかは別にして話しかけることが重要だと思っているし、今までもこれからも変わらない態度を取ることで耳の遠くなって不安を抱えているジュディーにはそれが良いだろうということでそうしている。

しかし、私が間違っていた。
つまり、ジュディーは自分が耳が遠くなったとは思っていない。私の声が出なくなったのだと思っているのだ。
だから、いつも必死で私の声を聞こうと口元を見たり私の態度を観察している。下手したらジュディーは声の出ない私をかばっているのかもしれないとさえ思った。
その後も声を出さない私の顔をじっと見て、私が何を言いたいのかを一生懸命汲み取ろうとしている。


ジュディーが悲観しないのも、可愛そうなのは私だからなのだ。「声が出なくなったても私はちゃんとあなたの事を理解するからね」といわれているようなのである。

もし、これが私だったら。。。。。きっと耳の聞こえなくなった自分を悲観し、周りが理解してくれないと悲しくなり、前と同じ生活ができない自分に苛立ち、そういった生活に慣れることさえ難しいだろいう。
ましてや、自分から他人を理解しようとするだろうか。悲観が先で「あなたが私を理解して」とさえ思うのではないか。そして、そういった自分が普通の生活をしていくようになるまでにはどれほどの時間を要するだろうかと思う。

このとき、自分は何も変わっていないに回りが声が出なくなった、と考えたらこれほど他人を思いやれることはない。自分は変わっていないのだ。だから何も悲観することはない。そこからは余裕すら生まれるかもしれない。これは極論ではあるが、自分が悲観的になるときというのは自分が人と変わってしまったからとか、自分だけが変わってしまったという気持ちが根底にあるのだろうし、ジュディーからそれを改めて実感させられた。



いつ見てもジュディーはマイペースで変わらない。
おっとりとした優しさは今の方が増しているかもとさえ思う。
そしてジュディーは声の出なくなった私と一緒にこれからものんびり暮らしていくだろう。



今日の一枚。
15歳だって走る。

# by kyouhei414 | 2011-12-14 00:02 | その他 | Trackback | Comments(0)
過去にとらわれる自分
結婚はしないと決めたのはあの出来事があってから。


って、意味ありげな始まり方をしたけれど、どうってことはない。簡単に言うと、婚約したけど、婚約破棄をして、その一連の出来事からさらに強烈な出来事があって怖くなったからである。

その根底には、幼少の頃からの出来事などが自分のどこかに引っかかっていて、そういう結果を招いたという事実がある。
なので、単に失敗したということならさほど長引くことではなかったかもしれないが、その根底にある幼少からのことが長引かせる原因にもなっていると思う。
つまりは、その出来事そのものが今の自分に悪い影響を当てえているのではなく、幼少の頃からのことが原因にもなるし、立ち直るときに影響もするといえるのかもしれない。

最近ではそういうのをインナーチャイルドというらしい。そして、そのインナーチャイルドを癒すと今の自分も良い方向へ導くことができる、つまり幸せな生き方ができるというようなことらしい。
インナーチャイルドを簡単に調べてみると
「子供の頃の辛かったことを思い出し、その子供の姿を思い浮かべる。時に泣いている自分の子供の頃が思い浮かんだりする。次に、その辛がっている子供、泣いている子供、つまりは自分自身なのだが、その子供を抱きしめるように癒す。」こういったことを想像の上で行なうようである。
埋もれてしまっている辛かった記憶や経験が潜在意識の中では残っていて、それが今の自分の生き方に影響を及ぼしている、という事なのだろうと思う。
が、私は思い出さなくても幼少の頃に辛かった出来事などは覚えている。それ以外に潜在意識の中に埋もれてしまっているものがあると言われればそでまでであるが、少なくともこの出来事さえなければ・・・と思うようなことが沢山記憶に残っているのも事実だ。


そんな自分にとって大きな力となったのが、愛犬ポチ、ナナ、恭平だ。
特に、ポチと私は兄弟のようで母のいう事は全く聞かないが私のいう事だけは聞くという、思い出深い子だ。家族に相手にされなくてもポチがいたから私は一人じゃなかった。ナナは父のことが好きだったが、いつも横目で私の事を見ている子で私とは友達でいてくれた。
恭平は、説明する必要もなく私にとっては愛することすら怖い私に愛情を教えてくれた大切なパートナーであり、何より生きる支えでもあった。ともすると、この家庭からは消えてしまいそうな存在だった私を一番頼りにしてくれて、無条件の愛情を与えてくれて、そして自分がきちんと存在しているのだと教えてくれた。親戚も友人も、恭平がいなくなったら私は生きていられるだろうか、と噂をしていたぐらいだ。

ただ、逆に「この子達がいたから救われた。。。。」という思いが強く、「この子達がいなくなったから。。。。」という喪失感が邪魔をしているとも感じたりする。
つまりは私は何かのせいにして自分の成長を止めている。何かがあるから自分は頑張れるのよ、的な言い訳ともいえるのだが、本当は自分自身が一人で前を見るには、こういう言い訳があってはいけない。傷ついたインナーチャイルドを持っていようが、どんな幼少の傷を持っていようが、一人で立つことができる自分があるからこそ愛情を与えられる。

ふと、私にそれを教えるために、ポチ、ナナ、恭平は私の側にやってきたのだろうと感じた。



今までは後ろを向くとポチ、ナナ、恭平がいたが、これからは前を向くたびに彼らがいるのだと思うようにしよう。きっとそんな私を応援してくれるに違いない。



今日の一枚
誰も教えなくても前しか見ない2匹。
# by kyouhei414 | 2011-12-04 01:09 | その他 | Trackback | Comments(0)
なんだか忙しかった
私が忙しいというのは、大体他の人において通常の働き程度だろうと思うので、自分としては忙しかったという表現が正しい。

色々な出来事がありながらも、今はカルチャーセンターさんで自分の得意とする分野の講師をさせていただくようになった。
その準備が思ったより時間がかかり、あっという間に今日になってしまった。その辺りはまた近いうちに尾はないするとして・・・・・



そうこうしているうちに、ジュディーが明日で15歳になる。耳は聞こえない、目は悪くなってきた、歯は抜ける、白髪は出るでも、走る食べる寝る、だけは人一倍楽しみ元気でいてくれる。感無量だ。
ただ、乳腺の腫瘍ができていたりするが年齢からしても手術はしないと決めている。その代わり、時間がある時にはジュディーのお腹をさすったりしてチェックをしたりしている。
それでも、私の側にいてくれるジュディーはなんというか。。。。。。。。。。

可愛い・・・・・



そんな中で、ふと結婚をするべきではないか、と考え始めた。
いまさら? なんで? あんた、いくつ? と思っているそこの方、いいんです。いくつになってもヨメに行く人は行くのです。気持ちが変わる事だってあるんです。そういうお年頃なんです。


ずっと、結婚はしてはいけないとどこかで思っていたようで、深層心理の部分で避けてきた話題だった。過去にあった出来事が原因なのだけれど、その過去の出来事を自分なりに消化できるようになったのだろうか、その辺りの心理は自分でも判っていない。
ところで、あのオヤジさんも再婚などとか、考えたりしてもよさそうな気がしないでもない。薦めているわけではないが、それも自然なことかと思ったりするのである。
気づけばもう10年近くお付き合いさせていただいていることになるが、ずっと変わらない生活をしてきた気がする。あ、家族が2匹増えたりしたのでそういう意味では変化もあったかな。
とにかく、NHKさんの大河を見ていて
「結婚の傷は、結婚で埋まる」みたいなセリフがあって、なるほどなと、思ったのがきっかけだが、そのセリフに反応する自分がいたということは、それなりに深層心理では変化が起こっていたのかもしれない。


というようなことで、気持ちの変化はあっても生活の変化が何もない私である。。。。。。



今日の一枚。
いくつになってもさくらには優しいジュディー。

いくつになっても心が自由なさくら。










# by kyouhei414 | 2011-11-29 17:44 | その他 | Trackback | Comments(0)
戦争だ!!!!
って、戦争をしているっていう夢を見たのであって現実ではないのですが・・・・
いや~、戦場にいる夢で実際に私は戦ってはいないのだけれど、どうしてこんな夢を見たのかなぁ。。。。

でも戦争の夢の割には、目覚めが悪くなかったのが不思議。詳細な内容はあまり記憶にないけれど、戦士がヘリから降りてきて、どどどーって走って現場に向かっていくのが異様にリアルだった。それを建物の影からどうしていいのか判らずにオロオロしている自分がいたんだけれど、どうやら夢の中で私は行きぬいた模様。




戦争といえば、今年は内紛などが多かった気がしますね。
それと独裁者の終焉を見せられたりもしましたが、それらが平和に向かっていくのならそれでいいのかというとなんとなく後味の悪さを感じるところに、もっと違った解決方法があったのではないかという感じを受けてしまった。それは私だけだろうか・・・・・

とにかく、平和を勝ち取るために武力を使うのと、独裁者が武力を使って力を見せ付けるということの違いは難だろうか、ということを考えてしまった。かといって、日本という国に住んでいるせいかこういった出来事に大して何をしたら良かったのかを実際の立場にたって考えることも難しい。
ただ、大変だった国の人たちが平和に暮らせるようになってほしいと願うしかない。
日本でも他の国からすると考えられないような出来事が起こった。「多分安全」という気楽な考えで使っていたのだろう原発は多くの問題をつきつけたと思うし、自然災害の恐ろしさと人の作ったものの恐ろしさの間にどんな違いがあるのかも知らされた。
個人的には、人が作ったものの方が恐ろしいと感じた。そこには言い知れぬ怒りが生まれるからだと思う。自然災害にだって怒りはあるだろうけれど、逆らえない摂理というものを人間なら誰しも知っているし学んでいるという点では根本的に違う。


と、戦争の夢を見てしまったせいか今年の色々な方面の戦いについて色々と振り返ってしまったのであります。



今日の一枚。
日焼けが関係ないとシミだって気にならないよな、と言いながらシャッターをきる。そして紫外線との戦いに負けてる実感をかみしめる。。。。
# by kyouhei414 | 2011-11-16 00:38 | その他 | Trackback | Comments(0)
寒がり
毎年この時期になると2匹に「あなたたちは寒がりだね」と言う。
布団で寝ているからだろうと思うが、朝目が覚めて布団から出ると寒いらしく小さく震えている。この時期はストーブをつけてもいないし、洋服を着ない2匹にとって一番寒さを感じる季節かも知れない。
先日はジュディーにフリースシャツを着せたらいきなりハイテンションになりひとりでクルクル走り回っていた。さくらは着ても寒かったらしく、さらにブランケットの上で丸くなっていた。


毎年悩まされるのが、このセーターというやつなのだ。。。。
なぜかうちの2匹はセーターを着ても直ぐに袖から手が出てしまったり、両腕がセーターの中にもぐりこんでしまって歩けなくなったりする。
なので、私がいないときにセーターを着せていると動けなくなっている可能性があるという事だ。
そこで見つけたのが腹巻。これなら腕が隠れてしまって困るなどという事もない。
さらに、腹巻にマフラーをセットにしたら案外暖かいのではないだろうか?
という事で、今年は腹巻とマフラーをセットで編んでみることにしよう。もし使えそうなら市販のおしゃれなのを買ってあげればいいわけだし。


と、ガメラに話したら
「腹巻? みっともない」
の一言で終わった。



やかましい。寒いよりはええんです!!!!




今日の一枚。
盗み見
# by kyouhei414 | 2011-11-11 00:23 | 愛犬 | Trackback | Comments(0)
叔父の治療
叔父は今は抗がん剤を中止していると言っていた。
しかし、肺にある癌が大きくなってきているので、治療を再開することに決めたらしい。その矢先、叔父はめまいで入院し抗がん剤治療を延期した。
そして、やはりしんどいのは避けたいので来年から抗がん剤治療を再開することにしたという。


ひょっとして、叔父は抗がん剤治療をしてもしなくても進行はとても遅いのではないだろうか。そんな気がしてならない。私は医師ではないし専門家ではないのでなんとなく、ではあるが。
抗がん剤地蝶を始めてから、もう何度も治療を休み、再開し、という事を繰り返していてそれがいいのだろうか。

叔父は、個性的な人生観を持っているがその人生観が癌の進行を遅らせているのだろうかと考えたりするが、本当の所はよく判らない。
ただ、気づいたのだが叔父は病と闘う自分の運命に対して文句を言ったことがない。
「なっちまったものはしょうがない。ケセラセラでいく」とは言うが
「どうしてオレがこんな病と闘わなければいけない? どうしてこんな病気になったんだ」など、私が同じ立場なら絶対に言うであろう言葉を叔父からは聞いた事がない。。。。。。


ひょっとしてそれが本当の叔父の強さだろうか。
叔父に課せられた人生の課題は、本当の強さをみんなに残す事なのだろうか?
それとも、同じ病の人たちに
「自分の生き方を通せ」と強く生きることを伝えることなのだろうか?
いや、そうであってほしい。
これからも自分の生き方を貫く叔父を見ることが私の課題なのかもしれない。


今日の一枚
ちょっと間抜け顔。


# by kyouhei414 | 2011-10-31 00:11 | | Trackback | Comments(5)
がんばるジュディー
特に体調が悪かったとか、病気をしたとかいうわけではない。
なのに。。。。



ジュディーをじっと見ているとなにやら不思議な感覚に襲われた。
言葉にはしにくいが、「頑張っている」というのが一番近いだろうか。
底力みたいなパワーなのだ。
普段、寝ている姿を見るとこのままいつまでも寝続けるのではないかと思うほどの熟睡で、物音にも気づかずひたすら寝ている。その姿はまるで老犬だ。
ま、言わなくても老犬だが。


そういう力強さというのは見ているとこちらも強くなれる気がしてくる。特に好きなものを食べて舞い上がっているわけでもない。大好きな公園にでかけたからというわけでもない。
些細なことが喜びなようで、その喜びが自分のパワーとなっている。


あれこれ考えるのは止めよう。
今日、こうして一緒に寝れるだけで暖かく幸せなパワーが一杯になるのだから。



ジュディ~、長生きしろよ~




今日の一枚

人の布団の中で寝ぼけるジュディー
# by kyouhei414 | 2011-10-25 00:32 | 愛犬 | Trackback | Comments(0)
恭平との再会
今朝方、嬉しい夢を見た。



私は何故か歯医者で治療をしている。治療台に座り先生が来るのを待っているが、なぜか待たされ続けている。
その治療台には恭平が一緒に乗っていて、私は恭平と何か話している。話すといっても恭平がいた頃から恭平と話をしていたので不思議な光景ではない。
どれだけ待っただろか。恭平がトイレに行きたがっている。その歯医者さんには中庭がありそこへ連れて行き恭平はトイレを済ませた。
そして又治療台に上がり、恭平と一緒にいる。


それだけの夢だった。
普通に生活をしていると、恭平はもういないのだがそれでも私の近くにいるんだって伝えているような夢だった。

何年経っても恭平の事を思うなんて、未練たらしいと思う人もいるかもしれない。
しかし、未練ではない。悲しみでもない。
では何か? 恭平は私と深い絆がある。愛情というものを教えてくれた恭平は魂になろうとも私に愛情を注いでくれる存在である。
死が引き裂いたのではなく死んでしまったからこそ絆と愛情を確認できるのである。


もし、私が恭平に対し動物虐待に近い事をしていたとする。そのとき、恭平が死んだ後に何が残るだろうか? 深い反省と後悔の念。そして、自分に対する怒りをも感じるだろう。どうしてあんな事をしてしまったのか、どうして愛情を与えなかったのか・・・と。
もし、それに気づくことさえなかったとしたら私は他の人や動物からひどい仕打ちをうけて絆や愛情を考えさせられるようなことになるだろう。


これは人と人との間にも起こる。
むしろ、人と人だからこそこういう事を忘れる。「あいつが悪いんだ」って言い切る。そんな事実を身近で見た。それでも人は自分を愛してやまない。

このブログを読むかどうか判らないが私の知り合いのあなた。
一度でいいから自分以外に愛情を向けてみてはどうだろうか?
あなたが冷たくされると感じるのは、愛情が自分にしか向いていないからだと気づくはず。。。。。



ま、私も人の事をとやかく言えた義理ではないが。。。。。
とにかく、恭平が当たり前のようにそばにいてくれてとても嬉しい。例えそれが夢であろうとも。


今日の一枚
トド

# by kyouhei414 | 2011-10-22 00:14 | 愛犬 | Comments(0)
不思議なトイレ
我が家の2階にあるトイレだがちょっと不思議なのだ。

数年前だったと思うが、このトイレにコウモリがいた。それも便器の中に隠れていた。何とか救い出したのだが何処から入ってきたのかいまだに判らない。
そして、一年ほど前、今度はヘンな虫がいた。これも怪奇現象だった。

そして、昨日はなんとハチがトイレの中に。それもでっかいヤツでなんと言うか知らないが刺されたら命はないかもしれないと思わせるほどのでかさだ。大げさ? うん。確かに。でも、怖かったもの。それぐらい大きく見えたんだってば。


で・・・・・
何処から入った?
どうしてトイレ?
他の部屋だってあるだろう?
なぜだ?




私がハチと格闘する間、2匹は爆睡。




# by kyouhei414 | 2011-10-21 00:02 | その他 | Trackback | Comments(0)
柳ジョージ
今月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去。63歳だったそうだ。

このニュースは12日に知ったのだが、やはりショックだった。というのも、若い頃私は柳ジョージの曲を聴いていた時期がある。コンサートへも何度か足を運んだ。
まだ20台になるかならないかぐらいだったと思うが、その頃はコンサートで見かけるファンとしては若い方だった。
渋い趣味だね、と言われたこともある。しかし、今聞いても聞ける曲も多くどちらかというと今の年齢で聞いた方がしっくりくるほどだ。何年経っても聞ける音とあの声はファンになって良かったと思えるぐらいだ。


違う世界へ旅立ってしまったが彼の残した曲がこれからも多くの人を魅了し続けてほしい。
本当に残念だと思うけれど、きっとこの現世での役目が終わったのかもしれないし、ゆっくり休んでほしいと思う。



# by kyouhei414 | 2011-10-20 00:02 | その他 | Trackback | Comments(0)
叔父
昨日は、久しぶりにネットの電話で話をした。
思ったより元気そうだ。病状が一歩進んだと思い心配していたのだが、入院した原因がめまいでそれが良くなったら以前と変わらぬほどに回復したという。
お酒も飲んでいるとか・・・・さすがに禁煙はしたのだがお酒は体調のバロメーターのようになっているらしくお酒が飲めないな、と思うとそれは抗がん剤治療を一旦中止した方がよいというサインになるらしい。
7月から中止していた抗がん剤治療を再開しようと思っていた矢先にめまいで入院して今もまだ治療はしていないそうだ。


それにしても相変わらず叔父のマイペースさは強さを生んでいるなと思う。
人は色々なことに縛られ、先入観の中で迷い、思い込みに振り回される。本当に生きている意味というのはそういう事を取り除いた中からしか生まれないのかもしれない。


叔父は「自分しかダメだから、と言って来るお客がいるから店を開けるんだ」といい、床屋のお店を守っている。近所には格安料金の床屋もできたし、普通ならそれで平気でお店をやれるだろうか、心配になる。しかし、叔父はその辺りは気にしていない。確かにお客さんが減ったし閑散としている日もあるようだが、何人来るかではなく、何を望まれているかをしっかりと知っている。
あの叔父の腕と心がある限り、叔父から床屋の店を奪うことは誰にもできないだろう。たとえ叔父からお店がなくなったとしても叔父の心からお客さんを思う気持ちは消えないだろう。



そこまで思える仕事を自分は持っているだろうか。。。。そう考える時、
叔父からは仕事というのは単に収入を得るだけのものではなく何ができるかという事でもある、と教えられている気がするのである。



今日の一枚。
かなり珍しく他のワンちゃんに近寄るさくら。数年に一度、自分の好みの子と知り合えるらしい。。。。。。

# by kyouhei414 | 2011-10-17 11:26 | | Trackback | Comments(0)
粒子線治療
粒子線治療についてこのページが以外に判りやすいので紹介をしておきます。
名古屋市・粒子線(陽子線・炭素線)治療とは



保健・医療・福祉の総合的エリアを目指すという事だが、粒子線治療が受けられるのはまだ先になる。
今は

南東北がん陽子線治療センター (福島県郡山市)
相澤病院 (長野県松本市)
筑波大学陽子線医学利用研究センター (茨城県つくば市)
国立がんセンター東病院 (千葉県柏市)
重粒子医科学センター病院 (千葉県千葉市)
群馬大学重粒子線医学研究センター (群馬県前橋市)
静岡県立がんセンター(静岡県駿東郡)
兵庫県立粒子線医療センター (兵庫県たつの市)
若狭湾エネルギー研究センター (福井県敦賀市)
福井県陽子線がん治療センター (福井県福井市)
がん粒子線治療研究センター (「ガイアの夜明け」で放送されたのはこちら)


などで治療が可能。
これから治療ができる場所は
九州国際重粒子線がん治療センター (佐賀県鳥栖市 ※…2013年以降の開始予定)
クオリティライフ城北 (愛知県名古屋市 ※…2012年以降の開始予定)

など。
こうしてみても治療が受けられる施設は多いようで少ない。
しかし、これからはもっと増えるだろうと思う。
施設が増えても治療費などが高額だという問題もあり、まだクリアしなくてはいけない問題も多いがこの粒子線治療という方法が選択肢として増えるのだからこれからもっと進歩して欲しい。


# by kyouhei414 | 2011-10-12 23:40 | | Trackback | Comments(0)
ひとつ進んだ
茨城の叔父が様態が悪くなり今月始めに入院をしたという。2日で退院したとのことだが、病状は一歩進んだと判断してもいいだろうと思う。
詳しいことは検査をしないと判らないらしいが、とにかく回復して元気を取り戻して欲しいと願っている。

叔父が闘病を始めて8年近くになる。随分長い間病と闘ってきた。何度も手術をしてそれでも床屋のお店を守り、仕事をしてきた。私が叔父の家に泊まりに行った時も小学生の頃と変わらぬ姿で店に立っていた。

最近は、ネット電話で話をすることができて叔父は「便利な世の中になった。長生きはしてみるものだな」と笑っていた。私もまさか叔父とネットで話ができるとは思わなかったのだが、長生きはしてみるものだね(笑)



それにしても粒子線治療は保険がきくようにはならないのだろうか。。。。。
少しでも良い治療があるのならば、誰もが治療を受けられるような医療環境になって欲しい。叔父は抗がん剤の副作用が辛いのを経験しているし「やらなくては他に治療がないからな・・・」と抗がん剤治療を休みながらでも続けた。極端だけれど生きるために仕方なく受ける治療では治療とは言いにくい。
治療の設備を少しでも安くできようになるなら、もっと沢山の病院が導入するかもしれないしそういう意味ではまだこれから進歩していくだろうと思う。
そうあって欲しい。。。。。



叔父が元気になったら又茨城へ行こうと思う。
一緒になべを囲んであの叔父の笑顔を見ようと思う。



# by kyouhei414 | 2011-10-10 23:53 | | Trackback | Comments(0)
スティーブ・ジョブズ氏の講演
スティーブ・ジョブズ氏が亡くなられた。その彼の有名な講演とされる前文の日本語を掲載。
一部を抜粋してあるのはよくみかけますが、全文を読む方が伝わるものが多いと感じました。


*******


ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった3つです。

最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。



2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。


3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。


私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。
Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。
ご清聴ありがとうございました。(
# by kyouhei414 | 2011-10-10 00:02 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)
みゃ太郎、強し
あの、みゃ太郎が犬にケンカをお売りになった。
それも、自分の3倍はあろうかという雑種の男の子にだ。猫様にとって大きさというのは対戦相手の選択という意味において考慮しないことなのであろうか。

ってか、この犬、チキンすぎ。
というのも、この日はお祭りで花火が上がった日だった。その場所からはちょうど見上げると花火が見えるので少しの時間だけ見ることにした。すると、何処からとも無く犬が走ってきた。
その犬は、茶色で雑種と思わる男の子で、リードも首輪も何もない。しかし、走る姿を見て感じたのは

びびってる

ってことだ。隠れる場所を探すかのようなその走りは全く情けない。仕方ないのでかくまってあげようとその犬を呼んでみた。この犬と呼ぶのはなんなので一応、仮の名前で呼ぶことにする。この犬の仮の名はちび太郎
だ。肝っ玉がチビ、すなわちちっちゃい事からつけた。
とにかくこのちび太郎は私が呼ぶのに気づき走ってきて私の足元にピタッとくっついた。ビビっていると確信した。

そして、その瞬間に花火が

どっか~ん

可愛そうに、その音にビビって建物の影に隠れようとした。
ちなみに、このときみゃ太郎は一緒に花火を見ていた。音にびびるわけでもないし、花火が上がって光った輝きに目を細めるわけでもない。もちろん、感動もしていないしどちらかというと堂々たる態度で夜空を見上げている感じだ。

で、そのちび太郎が建物の影に隠れようとしたそのとき、みゃ太郎がちび太郎に襲い掛かった。何という事だ。ちび太郎はさらにびびった。
おい、みゃ太郎、あなたもそこそこ可愛いが、その態度はいかにも憎たらしいぞ。このちび太郎はびびってるんだ。あなたとは違うんです。
そしてなんとか建物の影から出て行こうとするものの、みゃ太郎が立ちふさがり後ろにも前にも行けない。一歩でも動こうものならみゃ太郎が襲い掛かろうとする。私がちび太郎に近づき
「怖くないからこっちにおいで」というと私をたてに隠れている。

あなたね、チキンすぎ。


という事で、みゃ太郎とちび太郎の戦いは完全にみゃ太郎の勝利であった。そして、花火が終わるまで建物から出てこれなかったが、花火も終わり落ち着いたと判ったのだろう。私がたてになりちび太郎を保護してみゃ太郎からの攻撃を防ぎ、そして道路まで誘導した。
すると真っ直ぐに家に走っていった。



ところであの花火はいつがクライマックスだったんだろうか・・・・・・



# by kyouhei414 | 2011-09-27 20:59 | 愛犬 | Trackback | Comments(4)
さくらちゃん転ぶ
転ぶなんて優しいものじゃなかった。
自宅2階の階段の途中から一番下まで転げ落ちた。

少し前も転げ落ちたことがあるが、その時はたまたま足がすべったのだと思っていたが、今回の転がり方を見て階段にもすべりfどめのカーペットをしたほうが良いかもしれないと思った。。。。

転がるさくらを助けるまもなく下まで転げ落ちたのだが、落ちるさくらの姿はスローモーションだった。そのとき、必死に体制を戻そうと試みるがそれすらできず捕まるところもなく落ちていった。

そして、その衝撃だろうと思うがどうやらヘルニアが再発した様子。動物病院が休みなので連れて行くことができなかったが、歩ける状態ではあるもののどこかに痛みがある様子だ。そして抱っこをするときに違和感があるようで自分から私の手にしがみついてくる。これは前にヘルニアだった時の症状と同じである。

ただ、前と違うのは痛がり方が前よりひどくないことと手足に力が入ることだ。手術した時には前足がダランとして力も入らなかったのだが、そういう場合は首のヘルニアという事が多いらしい。今回はそれも無く、実際にはヘルニアかどうかは診察を受けていないのでわからない。

動物病院も休みだし連れて行けないのでちょっと不安だが、様子を見ることにした。
すると、今日の朝になり大分良くなっていた。歩かせたりはせずトイレも連れて行ってさせて、終わったら抱っこして戻って、お水もご飯もさくらの元まで持っていき、負担をかけないようにはしていた。
こういうときはさくらも当たり前のように甘えてくるので、案外わきまえた行動をとっている。そのため安静を保ってくれているのが幸いしたのかもしれない。夕方には気づいたら自分でトイレに行って来たようだ。って私が出かけていていなかったのでガメラ談ではあるが。
夜には目にも力が戻ってきて、「散歩にはいかないの?」と訴える。本当に犬って強いよね~。



いつもはさくらとはひっついて寝たりしないジュディーがずっとさくらに寄り添うかのように隣で寝ている。
「やはり家族なんだ・・・・」
と、夕方の空を見上げつぶやくのであった。


# by kyouhei414 | 2011-09-24 00:50 | 愛犬 | Trackback | Comments(2)
運休
人生初の電車の運休に遭遇した。

それも、最初に運休が止まったその電車に乗っていたので、自分が降りる駅の手前2つ目の駅で停止してそれっきりだ。一時間ぐらい待っただろうか、それまで外に出たら雨で倒れるのではないかと思うほどの勢いが止まり普通の雨になってきた。
構内放送で、「線路の点検が終わったら発車」と流れたため他の乗客の方々同様に一安心。ところが電車は走り出すことなく雨が又激しく降り始めた。

更に待つことしばし。
今度は乗客の一人だろう、その人が電車に近づきながら「タクシーが動けないらしい」と言っている。タクシーが動けないというのは意味が良く判らない。どちらにしても万が一の事を考えながら電車の中で状況の変化を待った。こうなったらレンタカーを借りて家に帰るか、などと考えていたのだがタクシーのことが気になり駅員さんに状況を聞いてみた。「今のところ運行開始の連絡がない。もし、運行開始としてもその連絡があってから線路の点検で1~2時間かかります」とのこと。タクシーもバスも止まっているようで駅の構外に人があふれている。皆、呆然とした空気が漂っていた。

乗り継いで家に帰らないといけないのだがどうやらもしその乗り継ぐ電車も途中で止まっていたら待つ意味がない。そう思って、乗り継ぐ電車に連絡を入れてみた。なんと「〇〇駅から△△駅まで水没しているので今日中の復旧の見込みはない」と返事が帰ってきた。それでここで待つだけ意味が無いと判った。

考えた結果、逆方向にでも電車が走ってくれたらその途中の駅に叔母の家があるため泊めてもらえばいい、と考え電話をすると叔母は来てもいい、と言ってくれる。しかし、そこまで電車が走らない。
タクシー乗り場もかなりの列だし、しかし並ぶしか方法がないだろう。
ここまで4時間。
そして、最悪の事を考え食料と飲み物を調達した。棚にはお弁当の類はほとんど残っていなかった。


そしてタクシーは運転手の問いかけで、乗りあっているようだ。そこまでする理由があるのだろう。

数台のタクシーが来たが乗りあうための行き先を周りの人に聞くのだが数名はさっさと手を上げて乗る。しかし、不思議なことに、その人の問いかけに聞こえないかのような態度の人がほとんどだった。自分は関係ない、という空気が流れている。更に私より少し前の人が「何処へ行きますか」とタクシーに乗り込む場所が聞き取れずに問うが誰も答えない。動きさえもしない。
数台後、叔母の家のある駅の所まで行くという人が他の乗客に話しかけた。様子を見るとあと一人乗れるところだが誰も手を上げない。私は後ろの方にいたのだが、手を上げてご一緒させて欲しいと頼んで乗せてもらった。
今思うと、後ろの方から手を上げて乗ってしまったがもう少し前の人の中でも乗りたい人がいたのではないかと反省をした。
地下鉄は動いているようなのでそのまま地下鉄に乗り込みバスに乗り継いで家に帰ることにした。叔母のところに泊めてもらうのも考えたのだが、途中がすごい渋滞で雨も前が見えないほどだ。そこを叔父に迎えに来て欲しいと頼めるほど叔父も若くは無い。

なんとかバス停に着くと、人だかりだ。乗れるまでに何時間かかるだろ。が、運のいいことに私の乗るバスは直ぐに来た。ぎゅうぎゅう詰めではあるが何とか5分も待たずしてバスに乗れた。ラッキーかもしれない。駅近辺はかなりの渋滞で一人の乗客が切れそうだったが、何とか渋滞を抜けて走り出した。
そして自宅へ。



乗りあったタクシーは5人で乗ったのだが、全員が今日始めてその駅に行った人ばかりだった。東京の人、豊川市の人、など、遠方の人もいた。見ず知らずの人たちとともに車内からすっかり暗くなった渋滞のライトを見つめる。何かの縁というがその縁だろうか。。。。
その東京から来たという男性は、まさに水没した場所にいて仕事を追えその場を離れると同時に水が押し寄せてきたという。水に飲まれずここまでたどり着いたとのことだ。もし、あと5分遅かったら・・・・と大人しそうなその背中は語ってた。


正直言って、私は孤独を感じていた。そんな簡単にここまで迎えに来てくれる友人もいないだろうし頼むには気が引ける距離だった。弟に頼んでも彼は助けようとはしない。大体のケースで何かを頼むと逆ギレをするというあまり性格もよろしくない。ガメラは免許を持っていない。
そう考えると、助けの欲しい時に助けを得られない部分を感じていたし、他の理由もあって家族はあってないようなものだと感じることが多かった。
次々と乗客が家族に電話をして迎えに来てもらう姿をみて、家族って一体なんだろうかと呆然と考える。
孤独とは何だろ、と考える。
何を頼りにするのだろうか、と考える。
この先はどんな生き方をするのだろうと考える。


タクシーの中で聞いた話は、想像以上にひどいことになっていて名古屋の天白川と庄内川も氾濫しそうで、一部地域は水没しているとのこと。更に、私のいたところは避難勧告が出ていてそのためタクシーも全車引き上げて避難していたらしい。渋滞も相当ひどいもので、乗り合いをしてもらわないと大勢の人を運ぶ時間も限られている状況らしい。
今ここにいる自分の状況に感謝するしかない。


6時間後帰宅した。あとで知ったのだが、私が足止めを食らった場所は水害のひどいところ、つまり激震地だった。
その激震地で過した時間に、色々な事を考えた。もちろん、もう少し適切な判断ができなかったのか、すばやい判断ができなかったのか、という反省もある。
もし、あの時に違う判断をしていたらどうだったのか、と振り返る。
もっと早い時点でここから立ち去る決心をしていたら、と悔いる。
後ろの方からタクシーに乗り込もうとした自分の行動に疑問を持つ。
やっとたどり着いた家は、平和な家だろうか、幸せな家庭だろうか、待ち望んでいた家族だろうか、と考える。




いつものようにしっぽを振って迎えてくれるジュディーとさくらを見るとなぜか、この6時間が一つの人生の縮図であるかのように感じた。








# by kyouhei414 | 2011-09-21 00:49 | その他 | Trackback | Comments(4)
金縛り
人生で初の金縛りにあった。


夜中に身動きが取れなくなり目が覚めたのである。目が覚めたのは寒かったからで、布団をかけなおそうと思っても体が全く動かない。特に手を動かそうと思っても上にも上がらない。
どうしたものか。


しかし、顔は動くようだ。金縛りって顔は動くのか。
そう思いながら、布団の上を見るとなんと布団の上にジュディーが右、さくらが左という形で乗っている。そして布団を動かそうとしてもがっつり爆睡の2匹は動こうともしない。更に悪いことにその布団は左右に引っ張られていてピーンと張った状態なのだ。
つまり、張り詰めた掛け布団が私の上に覆いかぶさり左右にイヌというオモリが乗っかっていて動けなかったというわけだ。





「これがうわさの、金縛りか」
と思った私はアホである。



数日前に、恐怖映像の番組を放送していてつい見てしまった。実際の映像とのことだがまるでホラー映画のようなものもあり、うそ臭いものもあったが顔を手で多いながら手の隙間からしっかり見させて頂いた。
その影響でホラー化した脳みそが”思い込み”を生み出したのである。
恐るべき恐怖映像の影響力。。。。



って、ことにしよう。


今日の一枚
お化けより花火の音の方が怖いジュディー
# by kyouhei414 | 2011-09-13 00:07 | スピリチュアル | Trackback | Comments(2)
絶叫
ツメきりが嫌いなさくら。

今年の夏も暑かったせいか、外出するのがちょっとおっくうになりさくらの爪切りを私がやることにした。
大嫌いなのは判っているが、しっかりとだっこをしてささっと済ませばさほど危険ではない。

必死にもがくさくらのツメを切った途端
ギャイン
とな。

まるで虐待でもしたかのごとくの叫びよう。あまりに驚いて私が絶叫した。


まさか、生ツメしちゃったか?
謝ることしばし。しかし隠れて出てこない。しばらくさくらの様子を見守るが、ツメをなめているとかかばっている様子は一切無い。
しばらくしてからやっと抱っこができたので確認しようとして足を持った瞬間逃げられた。
が、全く問題はない様子。

あの絶叫は演技半分?
まさか・・・・・・・





騙されたか?

あごの下に花びらをつけてるさくら。
神経質なくせにこういことは気にならないんだよなぁ。。。。。。
ったく







# by kyouhei414 | 2011-09-02 00:18 | 愛犬 | Trackback | Comments(2)
ブロガー名刺、送料込みで1000円じゃすと!
前川企画印刷さんで名刺を注文。
デザイナーつき100枚印刷で1000円。
私の場合は両面印刷だったので1500円。
それでも安いのでは?


HPアドレスは
http://www.kobe-maekawa.co.jp/products/
他にもマグやマグネットに印刷をしてくれる。
# by kyouhei414 | 2011-08-29 13:54 | その他 | Trackback | Comments(0)
環境省 パブリックコメント
こんなのがあるとは知らなかった。

動物取扱業の適正化について(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)について(お知らせ)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14069


パブリックコメントが簡単にできるツールを作ってくれた人もいた。求められるコメントは以下の内容があげれている。
*************
深夜の生体展示
移動販売
対面販売、対面説明、現物確認の義務化
犬、猫オークション市場
犬、猫幼齢動物を親等から引き離す日齢
犬、猫の繁殖制限措置
飼育施設の適正化
動物取り扱い業の業種追加の検討
関連法令違反の取り扱い
登録取り扱いの運用の強化
業種の適用除外
動物取り扱い責任者研修の緩和
販売時説名義の緩和
許可制の検討
*********

これらのコメントを簡単にネットから投稿できるようにしたツールがこちら↓
http://nekonuko.ure.jp/pc/
このツールを使うかどうかは自己判断でお願いしたいですが、環境省のページにも直接コメントを送る方法が書いてありますので面倒でなければそちから送ってみてください。
ツールは使ってみましたが、内容を書き込むとコピペできるデータにしてくれるのでそれをコピーしてメールに貼り付けて送信する形です。

27日までらしく、気づいたのが少々遅かった気がするが気づいたという事に意味がある。まだ時間は残されているのでできることをしていこうと思う。
一つの意見がこういう動物たちの悲劇を救うことになっていくはずだし、そうならなくてはいけないと思う。




今は当たり前のように行なわれている事実であり、しかしそれが動物たちにとって不当な扱いであり命をも軽視している人間の一面を表している。
ペットショップに並んだ可愛い子犬たちがいる。そしてその横には出産だけのためにゲージに入れられっぱなしの母親がいる。外で散歩もさせてもらえなくて、誰もが持っているはずの生きる権利すら奪われた親犬は自分の子供さえも奪われる。

本当はそんなことはありえないだろうと思っていた。しかし、この過去にこの日記に書いたことがあるが、出産だけさせられているダックスをペットショップから買い取って愛情をかけて育てている人に会った事がある。3匹のダックスが皆同じ境遇だったらしい。そして、どの子も寿命が短いと言っていた。最初は心を開かない子がほとんどだが一旦心を開くと本当に純粋な愛情を自分にかけてくれる優しい子ばかりだとも言っていた。


方や子犬を可愛がり、しかし厳しい状況の親に何も感じない、
こういう矛盾した状況をこれ以上作ってはいけない。親も子犬も持っている命は平等だ。



# by kyouhei414 | 2011-08-26 10:19 | 愛犬 | Trackback | Comments(0)
オーブかよ。
休み中に滝へ行って来た。
パワースポットといわれるところで、狭い場所ながら沢山の人が集まっていた。
そこで写真を撮影したら私の周りに沢山のオーブが写っていた。

オーブとは霊のいるところとか、パワーの強い場所で写るとされている白い丸い物体である。が、これはデジカメだから写る空気中のチリや水滴が映し出されたものだと言う説もある。私は後者を支持する。

が、実際に写ったのを見ると案外嬉しい。普段はカメラを構えるほうで被写体になる事はめったない。所が、久しぶりに写されてみるとオーブまでオマケでついてきた、って気分になったのである。


肝心の滝であるが、ある場所に行くとめまいでクラクラしてくる。2箇所ほどそういう場所があったのだが中にはパワーが強いからめまいがするのだ、と言う人もいると思うが、真偽の程を明らかにする方法はないだろうと思う。
ふと見ると、そこは気を測定したらしくその数値が書いてあった。気の測定は放射線量を見るのだということだがどうしてそれが気と関係するかは良く判らない。


しかし、この場所の気が確かなもので病などに良い作用をするのであればそんな嬉しいことはない。何らかの良い気を浴びることは気分転換にもなる。実際にここも滝の近くでとても気分が良かったのは確かである。
この気を今闘っている叔父や友人たちにも運べたらどんなにいいか。。。。。
# by kyouhei414 | 2011-08-22 00:17 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)
< 前のページ 次のページ >