タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
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にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
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父の月命日
母とお墓へ。明日は祖母の命日だ。父と祖母は一日違いなのでいつもは27日の父の命日にお墓へ行く。何度行っても父がここにいるという実感はわかない。
きっと信じたくないのだろう。
心のどこかでは父にゆっくり眠って欲しいと思っているが、又違うどこかで「父がいない」という空洞は埋められずにいる。
ゆっくりと時間をかけていくほうがよい、とある人に言われたが時々波がやってくるように「恭平と父」がいない実感がわいてくる。
とはいっても振り返るとその波は小さくなってきたような気がする。
こうして、徐々に恭平と父がいない生活が自分になじんでいくのだろう。
きっと悲しみは消えるものではないだろうが、生活はこうしてなじんでいくことで自分らしい生活が出来るようになるのかもしれない。

それにしてもさくらをみると「恭平の子供」としみじみ思う。そして、今日母に「あなたはお父さんそっくり」と言われた。
恭平の家族と、父の家族はこの家で関係が一致している。両親と娘、という関係だ。そして同じ父という立場の父と恭平がいなくなり、同じ娘という立場のさくらと私は父に似ている。これもまた面白いことなのかもしれない



パソコンが欲しい。毎日1度や2度は止まるからだ。イライラする。思い切り快適に使いたいと思う。私は物にあまりこだわるほうではない。物欲が少ないというか、欲しいものは買うがあまり執着しないほうだと思う。特に機械などは自分で買った経験が非常に少ない。パソコンも実は父の会社で用意してくれたものを当たり前のように使っていたので、パソコンを自分で買うとなると色々と迷ってしまう。ま、焦らずぼちぼちと探していこうか・・・・・・・いつになるやら
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by kyouhei414 | 2005-02-28 00:33 |
四十九日
O氏の四十九日が今日だった。本当に早い。あっという間に日にちは過ぎてしまった。
まだまだ、と思っていたけれど今日になったときにはどこか神妙な気持ちになった。
最後にお会いした日、「又来てくれ」と言って別れた。ところが、お会いすることが出来なかった。実は、最後にご自宅にお邪魔した日の翌月、自宅の近くを通った。その時母に「自宅に寄ってみようか」と提案した。ところが母は拒否をした。亡くなったと聞いたあと「あの時会いに行っていたら」と後悔を感じた。
私がO氏に会ったからといって病が治るわけでもない。しかし、「又来てくれ」という言葉は心のここかにずっと残っていた。「又来ます」と答えた自分の気持ちにうそは無く、そのつもりでいた。しかし、色々なことが邪魔になり、行動を抑える。例えば「母が行かないと言った」とか、「突然の訪問は失礼」などだ。

O氏の葬儀の時、父の同級生が泣きながら母の所へやってきて「仏壇(私の父の)におまいりをさせて欲しい」と言った。この女性の夢の中に父が出てきたそうだ。入院をしていた父に対し「女性だから」とか「病院が遠い」という理由で行くのをためらったそうだ。しかし、父が夢に出てきたとき苦しかったという。どうしてあの時何がなんでも行かなかったのか?どうして顔を見るだけでいいから、行かなかったのか?そう思うと苦しくてたまらないと泣きながら言われた。

後悔は人を苦しめるものだと思うけれど、それを非常に強く感じた瞬間でもあった。その後悔というものは、言い訳を作ることから始まるような気がする。迷いを感じたとき誰でも作るものでもある。

今、私は「あの時に会っていたら」と思う気持ちを、あのときに作った言い訳の数倍の重さで感じている
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by kyouhei414 | 2005-02-26 00:34 |
穴掘り
今日も2匹は庭に穴を掘った。何かが出てくるかと思ったら何も出てこない。ひたすら掘っている。結局今日も穴を埋めた・・・・・・

春先を過ぎるとジュディーが熱心に穴を掘るようになる。ジュディーは庭の土に埋まっているムシを掘り当てるのが得意だ。一体どうやってそのムシがそこに埋まっているのが判るのだろう?百発百中でムシが出てくる。が、ミミズは苦手なようで、掘り当てたことは無い。決まって同じ種類のムシを探し出す。
さくらはムシを掘るということは無いが、それでもジュディーが穴を掘ると一緒になって穴を掘る。しかし基本的にジュディーよりもう少し実用的なことに穴掘りの技術を使う。例えば家の門の下に穴を掘って脱走するとか、夏の暑い日に地面が冷たくなるほどまで掘り進み、そこで丸くなって涼をとる等だ。

穴掘りを実行した後は、顔は砂だらけ足も砂だらけになる。ちょっと目を離すとそのまま家の中に入る。家の中が砂だらけとなる。私はいつも、庭の穴を埋め、家の中の掃除機をかける。仕事が増えるので出来るなら穴掘りを止めて欲しい、と願っている。

しかし、あの短い手で庭を掘る姿は見ていると結構楽しい。手で砂をかき、後ろに砂が飛んでいくのを見るとやってみたくなる・・・・・
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by kyouhei414 | 2005-02-24 23:56 | 愛犬
ハエ
毎日、2匹と一緒に生活をしていると時々一人になりたいと思うことがある。
2匹は私と同じ家の中にいながら、私の近くにいたがり家の中を移動するときにはいつも2匹はカルガモの親子のように後ろからくっついてくる。こたつに入っても右にさくら、左にジュディーが陣取る。その左右の位置は決まっていて、布団で寝るときもさくらは私の右、ジュディーは左側の足元だ。ソファに座っても同じ。
人には自分に近づくものを許せる距離というものがあり、その許せる範囲を超えて他人が入り込むと気分があまりよろしくない。親しくなってくるとその距離に入ってきてもあまり不快を感じない。しかし、いくら親しくてもその距離の中にいつも入り込んでこられると、時に不快になる。しかし、犬はそうではないらしい。ひどいときはソファに私が座る前に、愛犬2匹はササッと座る。つまり、いち早く座った方が、私に近づけるからだ。息苦しさを感じ2匹が寝ている隙にこっそり離れるが、パッチリと目を開け、じっと私を見つめ当たり前のように私の所へやってきてくっいて眠る。又私は離れる。すると又くっついてくる。勘弁して欲しい。
目の前をブンブン飛ぶハエを想像して欲しい。振り払っても目の前にやってくる。うっとうしい。で振り払う。しかし、又目の前をうろつく。視界から消えて安心したら、又忘れた頃に目の前にやってくる。それと同じだ。

1畳のホットカーペットを部屋においてあるが、そのカーペットが愛犬たちは大好きで私の左右に2匹が陣取り、徐々に私を押してくる。結局そのカーペットは犬に取られて私は冷たい床の上に追い出される。しかし、冷たくてもどこかリラックスできるのが悔しい。
そして、このカーペットのぬくもりは、私のぬくもりより心地よいらしく、私の横には来ようとしない。ちょっと寂しい・・・・・・・・

目の前のハエもいつの間にか視界から消えると、「あれ?あのハエはどこへ行った?」と探してしまう。あれだけうっとうしかったのに・・・・・・
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by kyouhei414 | 2005-02-21 14:10 | 愛犬
久し振りの
お友達と集まった。とても楽しい時間を過ごす事ができて会って良かったと思う。
「最近は何か新しいことはあったの?」と聞かれたが、返す言葉が無かった。新しいことは何もなかったからだ。ならば、この先に何か新しいことを予定しているかというとそうでもない。私の中ではまだ何かが止まっているのだろうか?一人の友人は旅行を計画しているという。とても楽しみだと話すその友人の表情を見ていたら、やはり「いいなぁ」と思う。私も「何か新しいこと」をはじめようかとそう思っただけでも、こうして友人と久し振りに集まりいい刺激になったのは間違いないようだ。
そして、来週にはパーティーを開催するので参加して欲しいと誘って頂いた。国際交流のボランティア団体を作り、色々な方面で活躍しているのだが、その活動の中の一つらしい。様々な国からお客さんを呼び、交流を持つことで色々な刺激を受け、色々な文化を見ることも出来る。この方はいつも生き生きとしておられるのは、こういう活動が背景にあるからだろう。
私も見習わなくてはならない。
そして、元々私の英語の先生をしていた人も一緒だったが、やはり継続は力なりで、父が発病して以来、勉強などしてこなかった。する余裕も無かった。あの時継続していたら今頃は「進歩」という財産を手にしていたかもしれないと思う。何かを理由に中断することは簡単だが、何かがあっても継続するということの難しさを知った一日でもある。
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by kyouhei414 | 2005-02-20 01:50 | その他
今週の金曜日
O氏の四十九日がある。お線香を上げに伺いたいと、母がO氏の自宅に電話をしたところ「来てください」と言って下さったそうで、出かけたいと思う。
その時「うちの人がNさんに渡すと言ってお線香とろうそくが置いてある。もらって頂けないか?」と言われたそうだ。
O氏は最後に私の家に来てくれたとき「又来る」と言い残した。そしていつも来るときには、「何か」を持ってきてくれていた。お母様が亡くなられた時に覚えたというお経も父の仏壇に唱えてくれた。ずっと、O氏の「又来る」という言葉どおり来てくれることをずっと待っていた。昨年の夏、一向に姿を見せないO氏に疑問を持ったが、でも「又来る」の言葉が頭の中を通り過ぎる。言葉だけの人ではない。そう信じていた。ところが入院をされていると聞いたとき、「又来る」という言葉は、「会いに行く」という言葉に代わった。

しかし、今「お線香とろうそく」がO氏の変わりに「又来る」と語りかけているような気がした。

私も、最後にO氏のお見舞いに伺ったとき「又来ます」と言い残した。その言葉どおり会いに行ってこようと思う。
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by kyouhei414 | 2005-02-16 23:20 |
せっかく
日記を新しくしたので、書き込みをマメにしよう、と思う。
しかし、人は新しいものを追及する気持ちに終わりは無いようだ。ブログなるものが世の中に出て、割と流行りだした頃、私も早速試そうと、3箇所でスペースをレンタルしていた。簡単にH・Pが作成できるといううたい文句どおり、異様に簡単に出来た。細かいデザインは目をつぶるとしても、時間の短縮が出来ることは間違いない。しかし、借りただけでそのままにしてあった。今回やっとデータを移し変えて、アップし新しく流行り出した物にやっと乗れた。

こうして、新しい物が出るとついつい試したくなるのは誰でも大なり小なりはあると思う。今年のニューモデル、最新モデル、など、つい目線が行く。使ってみたいとか、手に入れたい、と思うのは私だけではないと思う。
しかし、古い物を見直すことで新たな発見もある。一番最初にH・Pを作った時のページは今は残っていない。しかし、更新したH・Pのページがパソコンのデータの隅から出てきた。
今ではアップしていないページもあった。そのページを見つけたとき、H・Pを更新する時のヒントを得た。
私はのんきなので、いつページを追加するか判らない。しかし、この古い物から得たヒントを元に、新しいものを作ろうと思う。
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by kyouhei414 | 2005-02-15 00:02 | コラム
掲示板の意味
じみぱさんとやまとさんと闘病をともにしてきて、支えられたことの一つに某掲示板がある。あの掲示板があったからこそ・・・という事も多くあった。当時は書き込みをしなかったが、お二人から個人的に励ましをもらったり、ご好意を頂いたりした。私にとっての掲示板は自分を励ます場所であったのは間違いない。
しかし、書き込みをしているうちに自分の場所のようになっていったのも事実で、公の場所で、誰もが読むことが出来るということを少し遠くに感じることがあった。しかし、やはり基本は公の場所であるということだろう。
そして3人の中で、私だけ叔父の癌と向き合い癌というものからは完全に離れずにいる。そのため某掲示板には時々出ているが、お二人は私とは全く違うと思う。
「死」はその人の死を意味するだけではなく、自分の生活にも、この先の自分にも大きな影響を及ぼす。たとえ病気でも生きている大切な人との生活と、亡くなった人との生活、というものが同じであるはずは無い。
しかし、掲示板ではお二人は時々顔を出してくれる。自分が立てたトピだからという責任感ではなく、経験をしたからこそ辛さが判るのでトピを消しさることがしにくい。
この病気になると以外に世間は冷たい。私も父が癌になったとき、ある人から「あとどれくらい」と聞かれたことがある。冷徹な一言だ。又ある人は「治るの?」と聞いた。答えに詰まった。それは辛かったからだ。しかし、あのトピではそういった辛いことを吐き出せる場所として私の中では存在していた。世間が冷たくても理解してくれる人がいる。同じ境遇の人がいる。そう思うことで自分を奮い立たせることが出来た。お二人が大切な人を亡くされてから時々荒れるあのトピを見ていると悲しくなる。しかし、私は恵まれていたと改めて思うことも出来る。暖かい心を持った人達に支えられ、暖かい心を頂いたのだから。
やはり感謝の気持ちで一杯になる。

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by kyouhei414 | 2005-02-12 16:41 | コラム
私はニブイ
オフ会がこの土曜日と日曜日にあった。父の闘病が始まって始めて掲示板に投稿をしたのだが、その時に会話を交わしたのがあのじみぱさんとやまとさんだ。その後はずっと掲示板でのやり取りをしていた。他にも掲示板でやり取りをした方も参加し、先週末に会うことが出来た。
正直言って会うことは無いだろうと思っていた。闘病中はお互いに忙しく、その後も皆精神的にはあまり良い状態ではなかった。しかし、タイミングとしては、1年ほど経過した今が一番良かったのかもしれない。
空港でじみぱさんの姿を見たとき始めて会った気がしなかった。皆ずっと知り合いだった感覚になったのである。やはり、同じ時期に同じように闘ってきたという事は顔を見るか見ないかに関わらず、友である。つながりが出来て、そのつながりの中で数年間をウェッブ上で過ごしてきたが、人がつながりを作ることは顔を見なくても心と経験が作り出すものだと判った気がする。

振り返ってみても、やまとさんは温灸器を貸してくれ、じみぱさんからはお茶を頂いた。そして、辛いときには励ましてくれ、明るい話題で笑わせてもくれた。辛いのは自分だけではなく、掲示板の画面を開くとそこにはじみぱさんとやまとさんがいてくれた。父を支えた1年にはこの二人を除いてはありえない、そう改めて感じている。
父も「飲みやすいお茶だ」とじみぱさんがくれたお茶を喜んで飲んでいた。
温灸器をお腹に当て「暖めると痛みが無くなる」と喜んでいた。辛い闘病生活の中で、こうした暖かい心に触れ父が喜んでくれたことは、私にとっても嬉しいことだった。そのときの父の顔を思い出すとやはり感謝の気持ちで一杯になる。

私を支え、父に触れ合ってくれたお二人に、今改めて感謝をしたいと思う。

ありがとう
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by kyouhei414 | 2005-02-10 16:40 | その他
愛犬
私にとって愛犬とは何であろう? 家に帰るとバカ騒ぎをして喜ぶ2匹を見ると、可愛いのは確かだが、そんな疑問がわいてくる。
今日も外出の帰りにおやつを買って帰った。自分のおやつは切らしても、愛犬のおやつはきらすことが出来ない。ペットショップに立ち寄ったときにふと思い出した。
父の生前中は、おやつは父の仕事だった。私はおやつをあげない主義だったが、父がごっそりと買って与えていたのだ。仕事の帰りに疲れていても愛犬のおやつが無いとペットショップに立ち寄り購入をして帰ってきた。自分がご飯を食べるより先に、愛犬たちにおやつをあげていた。
父がいなくなった今、私がその仕事をしなくてはならくなった。愛犬のためというより、父の気持ちを思いおやつを買ってあげる。

父がいなくなって1年になるが、「いなくなった父の存在」というものがこんな所にでているのだ、と思った。
おやつをあげない主義でも「いなくなった父の存在」を感じるためにもおやつをあげ続ける毎日はこれからも続くであろう
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by kyouhei414 | 2005-02-06 16:39 | 愛犬