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by kyouhei414
癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
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叔父
今日は叔母と電話で話した。叔父はなんとか元気にやっている様子。しかし背中に鉛をしょったようなだるさがあるため、疲れやすくだるいのは続いているらしい。
問題は叔母に「いつ死んでもおかしくない」と愚痴るらしく、叔母は不安になる。しかし、その反面、タバコは止めない、時々焼酎を飲む、パチンコへ行くなど節制する様子は無い。むしろ「今のうちに好きなことをするんだ」と言う。お客さんに癌を克服した人がいるらしく、その人と「いつ死んでもおかしくない」と意見が合い盛り上がっているらしいが、いいのか悪いのか?私が思うに、そういうことを口走っているうちは元気なのではないだろうか? どちらかというとヤケクソっていう印象を受けてしまうからか、そんな気がする。

検査のほうだが、どうやら3月というのは私の聞き間違いで、来月に検査があるらしい。肝臓と、肺の検査をするとの事。結果は4月末ごろになる。いやはや待つとうのはいつでも嫌なものだとしみじみ思う。
薬は今のところ何も飲んでいない。そして、心配があるとするなら、体重が増えないこと。割と食欲はあるらしいが、2キロか3キロほどしか手術後からは増えていないらしい。大腸の多くを無くしたので仕方がないかとも思うが、もう少し増えるといいのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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by kyouhei414 | 2005-03-31 14:30 |
なんか変
パソコンの不調が続いていたのに、何時の間か調子が回復。なだか機嫌がいいらしく止まらずに動いてくれている。気まぐれとはこのことだ。
今度こそ買い換えようと思うと調子が治る。調子が悪いと、おたんちんパソめ!!!!と頭にくるが、調子がいいと、いい子だねぇ、となる。パソコンにおちょくられてるようだ。


私は機械が苦手だ。非常に苦手だ。私の部屋のビデオが壊れ、廃棄処分にしたのだが何をどうしたのか知らないが、その後テレビが映らなくなった。そのままにしてある。
始めて我が家にビデオカメラという代物がやってきたときのこと、当時はカメラのレンズを除くような形のものであったが、写すほうに目を当てて「何も見えねぇ」と悩んだ。私は両ききの気があるので、左手で持ったのが間違いだった。あれは右利き用に出来ているらしく、右手で持てば何の問題も無かったのに。たったそれだけのことで弟に「それはギャグか?」とバカにされたのは遺憾である。
そんな私がパソコンを使い始めたときのこと。あれはもう10年以上前なのにその友人の言葉ははっきりと記憶に残っている。「使えるの?」だ。おまけに、デジカメを始めて買ったとき、その同じ友人は「パソコンで使えるの?」とおこきになった。さらにもう一つおまけに言うなら、車のウォッシァ液が無くなた時「自分でそれぐらい入れろ」とアドバイスをくれた。ついでに「ボンネット開けたことあるの?」と付け加えたのが憎い。ボタンを押せばボンネットぐらい開けれるさ。が、実はボンネットを開けたそのエンジンの上に頭を持ってくるのが怖いのだ。棒でボンネットを支えるようになっていないので、何時ボンネットが頭の上に落ちてくるかが怖いのだ。ついでに、トランクも同じく怖い。何時頭の上から落ちてくるか?そう思うだけでハラハラする。きっと一人ぐらいはボンネットが上から落ちてきて頭にたんこぶが出来た人がいるに違いない。そのせいか、トランクから荷物を降ろそうとすると異様に焦る。で、ある日両手に抱えるほどの荷物をトランクから降ろさなくてはならなかった。焦った私はキーをその荷物の横に置き、両手で荷物を降ろした。早くトランクを閉めないと危ない、とバタンと閉めた。キーはトランクの中である。ドアロックならず、トランクロックだ。それは、一人で仕事場にいたときだった。先に家に帰っていた父に「帰れない」と電話した。「そこで待ってろ」といい電話を切られた。待っていろと言わなくてもどこへもいけない。しばらく待つと父は「トロイな。お前は」と捨て台詞と共にキーを置いていった。

話はそれたが、このままパソコンが調子が良いことを願う
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by kyouhei414 | 2005-03-30 23:33 | その他
カンちゃん
お父様が他界された。非常に残念としか言いようが無い。後2週間と宣告され2ヶ月以上頑張られた。これは、たとえ誰がどんな専門的な知識を持って余命を図っても、本人の力が一番正しいという事なのだろう。そう思うとカンちゃんのお父様が本来持っていた力がどれだけ強かったかを知る。本当に強い方だったと思うし、よくここまで家族に答え頑張られたと思う。感動すら覚える。

危ないと言われなくても、ご本人が苦しむと家族は楽にしてあげたいと望む。しかし、それを望むことは「死」を望む事になるのかという矛盾が生じる。そう望むことはひどいことなのかという自責の念すら覚える。しかし、仕方の無いことであると思う。カンちゃんにもメールで話したが、人間の苦痛には「老い」「病」「死」という3大苦があると私の家の住職から教わった。病に倒れ死を目の前にするなら同時に「病と死」という苦しみを目の当たりにする。当然非常に苦しい。私もやはり経験した苦しみだ。
しかし、苦しいということは同時にその人を愛しているという事でもある。その苦しみは逃げようが無いが、乗り越える必要のある苦しみなのだろう。これはきっと人間に与えられた試練でもあるのだろうか?
どうしようもない運命を目の前にすると人は弱い。運命の法則を少しだけ借りるとすると、どうしようもなく辛い出来事の裏には違う一面も持っている。それは、人にあたれられたこの苦しみの裏には「愛情」という一面があるからという事だと思う。

カモさん、ひーちゃん、ビグさん、それぞれに共通することは「大きな愛情」であると改めて思う。
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by kyouhei414 | 2005-03-28 14:11 | その他
第7原則 
第7原則   誰がみても気の毒な状態は運命好転の前兆
文字通り、誰が見ても気の毒な状況に陥っているとしたら、それは運命が好転する予兆とするものである。しばらく見ないが随分と悲惨な運命を歩いていた人がいた。きっと今頃は目も当てられないほどの悲惨な格好で、食うや食わずの生活を送っているに違いない。そんなある日偶然にも出くわしたその人はなんということか、立派な服装をし、立派な車に乗っていた。聞けば今は社長らしい。と、どこかで耳にしたことはないだろうか?
運命は一瞬として止まることは無い。悪い時には悪いことが重なりやすい。しかし、運命というものは不思議で、落ちるところまで落ちたなら、後は上っていくしかないし、好転は早い。
与えられた運命が悲惨であるならあるほど、次に来る幸運の波は大きなものになる。中途半端に落ちるだけだとかえって幸運は小さい。

以上、運命の7大原則は終わりです。


四柱推命と易をされていた方の書かれた本の中のものですが、なるほどと納得をします。


恭平のサイトのトップページを変更した。私は案外、飽きっぽい性格をしているのかもしれない。ふと違うデザインなどが頭に浮かび、ついつい変更をしたくなる。まぁ、デザインというほどのものでもないが・・・・・・・
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by kyouhei414 | 2005-03-27 23:15 | 易経
運命の原則
第6原則   潔きは非惨を伴う(いさぎよきはひさんをともなう)
我慢が足りずに潔くあきらめることへの戒め。
忍耐を必要とする場面でさっさとあきらめるのは簡単だが、その結果は・・・・
忍耐を必要とする場面でぐっと耐えて乗り越えるからこそ、その先にいる幸運の女神に会える。
あきらめたときに願望がひょっこり達成されるという、第4の原則と照らし合わせると非常に面白い。同時に運命の原則は7つしかないがこの7つは以外に難しいと感じた。

そういえば、恭平が子供の頃、言うことを聞かないやんちゃでどうしようもなかった。毎日同じ事を繰り返し教えるが全く言うことを聞かなかった。時には怒り狂って爆発したこともあるが・・・・。
私は犬のしつけをどうしたらいいか?と聞かれると「忍耐と努力」と答える。飼い主があきらめたら、わんこは自分の思ったとおりの生活を通し、それは悲惨を伴う。
恭平と私は誰もが「すごい信頼関係でつながっている」と言ってくれるほどの関係になった。

私がこの原則はとても好きだ。7つの原則のうちでこの6番目だけは「上手に出来た」と自慢が出来るからだ。しかし、後にも先にも恭平のことしか思い浮かばない。。。。。。
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by kyouhei414 | 2005-03-22 23:10 | 易経
地震
今回の福岡の地震も大きなものだったようだ。自然には人間は謙虚であるべきだろうが、こう地震が多いと腹が立ってくる。
今まで平和に過ごしていた日々が地震によって大きく変わる。眠るところも、食べるものも、自宅の形だって変わってしまうだろう。
その精神的なショックというものは想像を超えると思う。


被害にあわれた方々にはお見舞いを申し上げます。


それから、つきさんが今回は被害に合われた。ネット上での付き合いというのは友情を作ると確信した。始めてニュースを見たとき、まずネットの電源を入れた。そう、つきさんの安否を知るためだ。つきさんは無事で、お子様達も無事だと確認が出来た。これほど安心したのは、私の心には友情という気持ちがあったからだろう
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by kyouhei414 | 2005-03-21 23:47 | その他
今日は運命の原則はお休み
祭日なので運命の原則のお勉強はお休み。

今日は天気がいいし、少し時間があったのでウッドデッキのペンキを塗った。ウッドデッキといっても小さなものだ。小さいからといってペンキがはげるのを待ってはくれない。利点は小さいだけペンキが少なくてすむ、という事ぐらいで悔しいが面倒は同じ。
最後にペンキを塗ったのは父だった。病気になり入院をしていたが抗がん剤が効果があり退院した時だった。恭平とジュディーとさくらは父と一緒にデッキに座り、日向ぼっこをしていた姿はつい最近のようだ。
最近電球が切れてそれを交換したが、それも父の仕事だった。こうして父がしていた仕事を自分がするとき、どうしても父の姿を思いだしながら作業をしてしまう。父が元気だったらしてくれるのにと、勝手なことは思わないが、今父が元気でいたら何をしていただろうと思う。
デッキにペンキを塗っていただろうか? 今頃から鮎釣りの準備をしていただろうか? 
でも、もし今いてくれたら、と考えることはいいことなのだろうか? 電球を交換する父を想像することはいいことなのだろうか?
毎日「ゆっくり休んでね。こちらは大丈夫だから」と語りかけるが、心のどこかでは「いてくれたら」という思いが大きいようだ。
そんなことを思いながらペンキを塗っていたらあっという間に終わった。
やはり、小さなデッキは大きなデッキより手間がかからないということだろう
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by kyouhei414 | 2005-03-20 00:06 | その他
第5原則 
第5原則   訪れてきた運命の波には乗るべし
外から思いもかけない良い運命の誘いが来ているのに、「ああでもない、こうでもない」とひねり回すだけで、せっかく訪れてきた運命の波にいっこう乗ろうとしないのは、これも運命に対する我が儘であって、その結果は良くない。

運命には機運というものがあって、一瞬のタイミングを掴むことで大きく運命の流れが変わる。しかし、その機運というものを掴むことは結構難しく、グダグダ言っているうちにその流れを変えるであろう機運を掴みそこなうことはよくある。しばらくの間ツキから見放されていると、突如訪れた機運を疑い、結局運命の波に乗りここなってしまう。
素直に運の波に乗ることが、運命なのだとするなら、乗らないことはわがままという事になる。



人生には結婚できるチャンスというものが一度や二度は与えられているという。せっかく訪れた結婚のチャンスを「タイプじゃないから」「腹が出ているから」「貧乏だから」「私より背が低いから」などとあげたらきりが無いが、ああでもない、こうでもない、と理由を見つけ波に乗り損ねると、ひょっとしたら一生波がやってこないかもしれない。
私の過去には結婚の波が襲ってきたのか振り返って考えたいが「波に乗り損ねた」と知ることは怖いので、振り返ることはよそうと思う。
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by kyouhei414 | 2005-03-18 12:48 | 易経
第4原則
第4原則   願望は諦めたときにひょっこり達成される
運命とはこのように皮肉なものである。何かの願望に対して精魂を傾けて努力してみても、なかなかそれが達成されない。万策つき果てて、この願いはとうてい達成されない無理な願いかと諦めた途端に、その願望がひょっこり達成される。
ということらしい。


「人事をつくして天命を待つ」と考えるには私は未熟な人間だが、何が何でも達成したいと思ったら、この第4原則を思い出すことにしよう。運命に対するわがままを通そうと思っているだけなら、それは到底、達成されない願望だという事になる。運を天に任せることも運命の流れを変えるにはいいのかもしれない


私の親友の口癖は「なるようにしかならない」だ。あれこれ考えてウダウダする事を嫌う私の親友は本能的に運命の原則を利用しているのかもしれない
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by kyouhei414 | 2005-03-17 13:18 | 易経
第3原則
第3原則   得意は失意の前兆である

運命は止まることなく動いていて、流れが得意に流れることは誰でも経験していると思う。何をしても上手く行くときには、自分は強運の持ち主であると信じて疑わない。しかし、運命が流れるということを考えると、得意も絶頂になるとそのときにはすでに失意はひそかに訪れている。
得意の時こそ、傲慢にならず次にやってくる失意の時に備えるのもいいかもしれない。

易の考はそうしたことを教えてくれる言葉が幾つかある。豊の次に旅という卦がくるが、これは豊満も限度を超えるとバランスを崩し失意の旅に出るということらしい。つまり豊かだった場所を離れ、失意のたびに出るのだから苦しい。しかし、この失意の旅を乗り越えると又、得意の方へ運命は動き出す。失意のときは得意の前兆でもある、と思うようにしよう。




母がさくらとジュディーを散歩に連れ出し、まだ帰ってこない。かれこれ1時間半になる。近所を歩くだけにしては長い。しかし、天気も良いことだし2匹はこの暖かい日差しを楽しんでいると思う。毎日私について回っているが、たまにはこうして家の中に犬がいないというのものんびりできる
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by kyouhei414 | 2005-03-16 14:36 | 易経