タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
Bowwow diary
にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
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<   2005年 07月 ( 20 )   > この月の画像一覧
ジュディー
ジュディーは昔からカメラで写すことが難しい。黒い毛並みに黒い目なので、表情をとらえにくいのだろうか? 明るい場所では結構綺麗に写せるが木陰に入ると途端に難しい被写体となる。
腕がよければ問題ないのだろうが・・・・・
画像ソフトで修正をするが、それでも被写体が黒いと中々上手に修正が出来ないようだ。
ソフトで修正をするのも腕がよければ問題なのだろうか?

あれだけカメラが苦手で、一眼レフって何?と思っていたのに、最近ではデジタルの一眼レフが欲しくなった。フィルムを気にせず写せるし、スキャナで取り込む手間が要らない。画素数も今は随分と大きくなってきているし、綺麗な写真が残せる。動く姿を残すには一眼レフが一番いいらしいし・・・・結局一眼レフを見に行ってしまった。
ん~高いなぁ


思い出せば、一度失敗をした。父の一眼レフを持って山を歩いていたのだが、カメラを覗きながら歩いていたら、けつまずいてこけそうになった。その時かばったのがカメラだった。
とっさにカメラをかばった時、自分の動きの早さに驚いたぐらいだ。こけて落としても大丈夫なカメラを使った方が派手にこけた時の事を考えると安心感がある。
それに、デジタル一眼の問題は、カメラが重いということだろう。山を歩いていると身軽が一番なのだ。
と、高くて買う勇気がない自分に、言い訳をしている。
でも欲しい・・・・・・
いや、父の一眼レフがあるから、デジカメ一眼なんて必要ない、とさらに言い訳をする。
しょせん、おたんちんな2匹を写すだけだ。もったいない。ともう少し追加で言い訳をしてみる。
そうそう。今持ているデジカメでも十分だ。派手にこけて投げ出したとしても壊れそうにないほど頑丈なボディーをしているし、とこじつけの言い訳も追加しよう。




と、クドクド考えるということは余程デジカメ一眼レフが欲しいということだなぁ・・・・・・
あ~欲しいなぁ


どんな表情か綺麗に写せない・・・・
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by kyouhei414 | 2005-07-31 00:03 | 愛犬
おじさん
叔父からメールが来たのだが、タイトルが「おじさん」になっていた。今までタイトルを入れてきたことが無かったので、最初見た時、変な迷惑メールかと思ってしまった。

叔父はとりあえず今の所は異常が無いらしく、次の検査は10月だということらしい。しかし、3ヶ月も検査も無いなんていうのは不安な気がしないでもない。それに抜糸忘れた糸が出てきたらしく自分で抜いて抗菌ガーゼを張ったというから恐ろしい。私なら直ぐに電話して病院に飛んでいくだろうが・・・・
そうそう、しめは「おやすみ」だった。簡単な所が叔父らしい。


ある番組で未来への希望、みたいなタイトルで明日への希望を話し合っていた。未来を期待することは愚かなことで、今を大切にすることの方が大切だというのだが納得できないでもない。

特に癌という病気を治療していると、未来は不安を感じるものでもある。本当なら治療をしたので未来が明るいと手放しで喜べるのが一番いいのだが、そうは行かないのが癌の厄介な所だと思う。だからと言って何も治療をしないという事も得策ではない。それに抗がん剤治療をしていると目の前の副作用で手一杯という場合もある。実に厄介だ。

明るい未来を想像する時、人は果てしなく都合のいい事を頭に描きとても強くなる。傲慢になるのもそういうときだ。反対に不安な未来と向き合うとき、人は弱くなる。そういうときほど先の先を想像し弱さを増して行く。それが広がって悲観という心理も生み出す。しかし、先へ先へと走っていった想像がつい目の前にあるこの今という時間、今ある自分へ戻る時がある。その時初めて「今という時間を大切にしよう。一日一日を大切に生きていこう。今日は笑顔でいよう。」と思う。
私は不安な未来と向き合い悲観的になった。父は悲観の中から「一日でも元気で長生きをしたい」と自分を見つけ出した。私は父のその姿を見て今を生きる事を学んだ。
叔父は「兄貴(私の父)の年までは生きるからな」と悲観の中から目的を見つけた。
その叔父の姿に強さを見た。

叔父も父も未来への期待ではなく、希望を持っていた。その番組でも「未来に希望を持つ事は今を大切にする事だ。いたずらに未来を期待することは今の自分を知らないということだ」と言っていた。

そういうことを生かしきれないところが私の悪い所なのだが、せめて時々思い出して忘れないようにしよう・・・・・・
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by kyouhei414 | 2005-07-30 00:21 |
細長いかぼちゃ
母がばかでかくて細長い不思議な野菜をもらってきた。とうがんか?と思ったがちょっと違う。が、しばらくそのままおいてあったので、私も何も聞かずにそのままにしておいた。

急に「かぼちゃコロッケを作れ」と母が私に言う。「ならかぼちゃを買ってくる」と私が言うと「そこにある」と言う。「何処?」「それ」と指差したのがその馬鹿でかくて細長いのだった。どうやったらかぼちゃはこのような形になるのか?
ま、とにかく母は父がいなくなってからほとんど料理をしない。据え膳でデブまっしぐらだ。かぼちゃコロッケを作るのも私に命令をするが、動かない。で、結局作るハメになった。
所が私の弟はかぼちゃコロッケは「食いたくない」という代物らしい。で、弟だけメインメニューは冷しゃぶだ。私とは母はもちろんコロッケだ。

弟が家に来て夕飯を食べ終えたのだが、気がつくとかぼちゃコロッケが残っていたのに無くなっている。
「食べたの?」と弟に聞くと「食べたに決まっている。大体デカ過ぎるんだ。もう少し可愛げのある大きさなら何とかなるが、あれだけ大きいとかぼちゃの塊を食べているようなもんだ」とぬかした。
私「かぼちゃコロッケは食べなくていいんだよ。別に冷しゃぶがあったでしょ? あれは?」
弟「食べたに決まっている」
私「・・・・・・・・・・・・・・」

大体、食べすぎなんだ。だから太るんだ。どうして欲張って嫌いなかぼちゃコロッケまで食べる? それに嫌いなものを食べて文句を言われてもどーせーっちゅうの?

それより、あれは明日の私のお昼ご飯だったんだぞ!!!!!!!!



この前も私の好きなメニューをせっせと作ったら3回もおかわりして、結局私のお昼ご飯の分も全部食べたじゃないか。
忍耐も3回までだ。
今度は絶対に許さないぞ
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by kyouhei414 | 2005-07-29 00:03 | その他
覚える
昼間、暑い時にエアコンをつけようかどうしようか? と迷う時うちの犬たちを見るとエアコン必要温度かどうかが判る。暑くてゼーゼー言っているときはエアコン必要。気にせずお昼寝をしているなら必要なし。今日は必要がなかった。

風があり、お昼寝も気持ちよさそうだ。散歩へつれて行けとせがむかと思ったら、結局夜まで何も言わず夕飯を終えた頃にソワソワとし始めたので少し散歩へ出かけてきた。
夜の風を浴びながらの散歩が気持ちいいと覚えたのか、昼間はひたすらお昼寝に徹している。しかし、犬は何処まで覚える事ができるのだろう? あまり色々覚えても犬本来の従順さがなくなるような気がして、危機感を覚える。

特にご飯のことに関してはしつこいほどの記憶力を発揮する。
最近のご飯は、ドッグ・フードの上に煮干を粉末にした粉、ささみのふりかけをかけてあげるというスペシャルぶっかけご飯だった。
が、ピザ用のチーズが残っていて賞味期限切れになりそうだったため、2匹のスペシャルぶっかけご飯の上にちょっと乗せてあげた。その日だけの限定メニューだ。

翌日、いつものようにスペシャルぶっかけご飯を作ったが、2匹はお茶碗の前で固まっている。
私「何? どうしたの?」
2匹・・・・・固まったまま
私「さっさと食べなさい」
さくら・・・・冷蔵庫に視線をやる
私「あ、ふりかけが足りないのね? ちょっと待って。少し足してあげるから」
と、ふりかけを出した。するとそのふりかけの入れ物をクンクン匂い、再度冷蔵庫へ視線をやる。
私「まさか、チーズ?」
2匹・・・・・しっぽフリフリ

2匹はチーズという言葉を覚えている。そして、昨日スペシャルぶっかけご飯の上にチーズ乗せしたスペシャルぶっかけご飯チーズバージョンーのことも覚えていたのだ。
もうあの2匹が忘れるということは無い。全くうっかりとこんなミスを犯してしまって非常に後悔している。
lこれから毎日チーズを切らさないようにしないと、しつこい2匹の呪いでもかかったようなあの目が怖い。

そういえば恭平のご飯は牛肉ぶっかけご飯だったが、とても安いお肉で済ませていた。所がうっかり恭平用のお肉を切らし、人間用の某鍋料理に使うお肉を変わりに上げた。
翌日、安い肉に戻したら食べなかった。恭平の可愛い所はそのまずい肉を残したお茶碗に鼻で砂をかける真似をする所だ。
隠しておいて私の食べているご飯をGetしようと考えているのだが、もちろん家の中に砂は無く、砂を掛けてもまずい肉は何時までもその姿を恭平の前にさらしている。恭平は首をかしげ一旦考えるがさっさとあきらめ、その肉を見ないようにする。
私が怒ると一口だけ食べて、全部食べたふりをする。

あの母娘のように呪われた視線というのを使わない恭平はやっぱり可愛いかった。
食べたふりぐらい、あの目に比べたらへでもないほど可愛い。




<おまけ>
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by kyouhei414 | 2005-07-27 23:26 | 愛犬
喜び
喜びにも色々あって、易経の兌という卦に
和兌=人と和して喜ぶ
孚兌=孚(まこと)あって喜ぶ
来兌=来りて喜ぶ
商兌=商(はかり)て喜ぶ
引兌=引きて喜ぶ
があるとしている。

来りて喜ぶは凶であり、これは下心を持って自分を喜ばせようと近寄ってくるが、それを知っていながら喜びに乗ると凶という意味。商りて喜ぶというのは、どちらと喜びを共にしようかと計り考えて容易に決心がつかない。一方は喜びといえども邪悪なものを含んでいる。ここでそれを退ける決心がつければ後に吉となる。
喜びといえども安易に喜んでいると後で痛い目にあう事があると、警告を発しているのかもしれない。
元々「兌」という卦には、喜びといえども、正しい道を守った時だけ吉という条件がついている。
正しい道というのは判断が人によって分かれると思うが、喜ばす気持ちが誠心誠意をつくしているのかと思えばいいだろう。そういう喜びを相手からもらった人も心から喜べる。そこに嘘偽り、計算は無い。

大人になるとついつい計った喜びを与えようとするし、与えられて喜んだふりも出来るようになる。本当は辛い経験を乗り越えて努力した結果得たものや、並々ならぬ努力の結果得る喜びは長く続くし、あっけなく消えてなくなる事はない。どちらかというととても良い経験になり、この先の人生の糧にさえなり得る。
もう一つ、人と和して喜ぶ、という事でこれは経験からではなく相手から誠心誠意与えられたものを受け取った時に感じる喜びであり、その相手と和合する喜びも重なる。




先日Kちゃんから再び四葉のクローバーを頂いた。可愛いティッシュケースも作ってくれた。そしてYっちが指輪を作ってくれた。どちらも与えられたものを素直に受け取り自分の喜びとなった。
人と和して喜ぶ事はこんなに幸せな気分にさせてくれると改めて感じる。
本当にありがとう・・・・・

こうして手放しで喜べる友からの心はいつも私を救ってくれる。


<おまけ>
さくらのどアップ・・・・かわいい
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by kyouhei414 | 2005-07-23 22:56 | 易経
撮影
写真撮影の飽きている2匹なので、カメラ目線の写真はしばらく写さないことにした。
しかし、2匹並んだ所を写したい。水遊びの後で体が濡れているがそれもたまにはいい。
で、岩の上に2匹を並べてみたが、さくらは逃亡。仕方なくジュディーだけ岩の上で撮影。しかし、カメラを向けるとそっぽを向く。「可愛いねぇー、ジュディーはほんとに可愛いねぇー。おりこうだねぇー。いい子だねぇー」を連発。で数枚撮影。
するとさくらが私をつついている。さくらも褒めてもらいたかったようだ。
早速、さくらを岩の上に乗せた。そして同じく「可愛いねぇー、さくらはほんとに可愛いねぇー。おりこうだねぇー。いい子だねぇー」を連発。で数枚撮影。

気がつくと、後ろで知らない人達が私と愛犬たちの撮影を見ていた。
アホみたいに自分の愛犬を褒めているので、呆れて見ていたのかもしれないと思うと、かなり恥ずかしい。。。。。。
今度は誰もいない事を確認して撮影しよう。


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by kyouhei414 | 2005-07-21 15:48 | 愛犬
眠い時は寝る
遊びつかれた時、ジュディーとさくらの違いがある。さくらは遊び疲れていても決して車の中では眠らない。家に着くまでは「まだどこかへ寄るかもしれない」と思うらしく、外の景色をじっと眺めている。ジュディーの車での指定席は助手席だが、疲れたら肘掛に顔を乗せて寝る。車が止まったら起きるが、それ以外はひたすら寝る。
先日、水遊びの帰りにジュディーは車で爆睡だった。写真を写した時には目を開けたが、いかにも気持ちよさそうな顔で寝ていた。が、写してみたらPigだった・・・・

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さくらは家に帰って爆睡だった。それも腕枕だ。再び手ぶれ・・・・・


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とにもかくにも、そんな2匹のショット。
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by kyouhei414 | 2005-07-20 22:48 | 愛犬
暑いです。何処へも行きたくないです
今日は家でじっとしていたい。暑いので出かけたくないのが正直な所なんですが・・・・・しかし、夕方から外出予定が入っていて、ちょっと憂鬱。それまでH・Pのトップ・ページを変更しようと手がけ始めたが、疲れてきたので一息。


先日の川での出来事の続き。あの後滝のある場所へ移動して水遊びを楽しんできた。ジュディーもさくらも満足そうだ。
で、帰る前に足を洗おうと水場へ。2匹も水で砂を流してあげた。ジュディーは順調に足を洗い、タオルで拭いて完了。次はさくら。所がさくらを抱えたら手が滑ってさくらを落とした。その場所がいけなかった。さくらはひっくり返り顔の真上からは水道の水が・・・・流れていた。
さくらは顔を水で濡らすのが大嫌いだ。もちろんまともに水を顔にくらったさくらは怒った。「何すんのよぉ!!!しっかり抱っこしててよ」と言いたかったに違いない。ごめん。。。。。。


まだ頭も鼻の上も濡れている。許してね、さくら。
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顔を濡らすのが嫌で、恐る恐るこっちへ歩いてくる。
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ジュディーは平気だ。一度泳いだことがあるので今度水泳に挑戦したいが・・・・
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by kyouhei414 | 2005-07-18 15:45 | その他
母犬家庭
今日は時間があったので、この暑さの中ジュディーとさくらを滝のある公園へつれて行くと言い出した。「行く」という言葉を理解している2匹は目をらんらんと輝かせ「何時行くの?今から?」とでも言わんばかりにソワソワしている。しかし私は暑いから夕方涼しい所で散歩させた方がいいと母に反対した。が、時既に遅し。2匹は私が歩くと後ろをついて回りキーを持つのを待っている。
という事で、気の変わった母は行かず、私が2匹をその公園へ連れて行った。

家族でにぎわっていて、川に入れるか心配だったが直ぐに人気者になった2匹は回りの家族が大歓迎。そして、私も川に入り2匹と戯れる。そこへ夫婦と思われる2人がダルメシアンを連れて来た。他にもプードル、ダックス、シーズーを連れたご夫婦がいた。
あることに気がついた。ほとんどが1匹のわんちゃんをご夫婦かアベックが大事そうに連れているのだ。私のように一人で犬を2匹連れているという人は一人もいない。
つまり私は母子家庭ならず母犬家庭だ。私は強い母だ。だから2匹を可愛がってくれる彼や旦那さんがいなくたって、寂しくないぞ。絶対に泣いたりなんてするもんか!!!!!!!




その川原へ降りるには3メートル近い堤防を下に行かなくてはならない。降りるのは結構簡単だが、登るときが大変だ。一応、2段のビール箱が足場となっているので上ろうと思えば上れる。ずっと先に行くなら階段があるが、面倒なのでそのビール箱を使って上ろうとした。すると近くにいた5人の子供が
(子供A)「上れるの?」
(子供B)「どうやって上るの」
(子供C)「落ちない?」と話しかけてきた。放っておいてくれ。たとえ上り損ねて落ちたとしても私はたくましいのだ。負けないのだ!!!!!!
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by kyouhei414 | 2005-07-17 00:32 | 愛犬
悲しいということ
先日、父の同級生が亡き父に会いに来てくれた。お供えを大事そうに持って来てくれたその姿はお元気そうで安心をした。

この方達は父が発病をしてからその方たちは時々父に会いに来てくれたが、その時からずっと私の事も気にしていてくれる。時々おはがきを頂いたり、こうして顔を見せに来てくれるということは、とても嬉しく思っている。新しい友達が出来た気持ちにすらなる。年齢を考えると友達と思うことは失礼に当たるが、それだけ友好的で暖かい人たちだ。

父には仲の良いいくつかのグループがあり、このお二人はその一つのグループのお友達だが、その他のグループの方たちはこうして訪ねてくれるということは少なく、徐々に父の事が思い出になり父の存在すらが遠いものになっていく事を実感する。もちろん当たり前のことだと思ってはいるが。
私の周りでも父の事を口にする人が減ってきている。これも当然のことだと思っているが。

少し前は、悲しみだけではなく辛いという気持ちも強かった。一体どうしてこんな事になったのか? どうして父がいなくなったのか、そう考える事も毎日だった。父の部屋もずっとそのままにしてあり、いつも座って本を読んでいた父の姿を見れないことも辛い気持ちを倍増させていた。何時になったら悲しみがなくなるのだろうかと、悲しみを消し去る方法を模索したこともある。
しかし、こうして父の事を悲しんでくれる人が徐々に減ってくるのを感じると、悲しみというものがいとおしくなる。しかし決して悲しんでくれる事を願っている訳ではない。ただ思い出でいいから時々思い出して欲しいと我侭な感情を抱く。そんなことを思うのはいけないことだろうか?

そして、今まで消し去る方法を考えていた「悲しみ」と言う気持ちを、消し去りたくないと思うようになってきた。
一人ぐらい悲しみを抱えてもいいじゃないか? それは父を思う気持ちの表れれなのだから悲しみや愛惜が続くことが当たり前なんだ、と思えるようにもなってきた。


このお二人が少しご無沙汰をしたと私と母に誤り「あなた達の事は忘れてなんていません。忘るはずないです」と言ってくれた。何より暖かい愛情を感じる言葉だった。
私も父に「忘れてなんていないよ。忘れるはずないでしょ?」と言ってみることにした。
父がいたら何も言わずそっと微笑むだろう。
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by kyouhei414 | 2005-07-16 00:28 |