タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
Bowwow diary
にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
H・Pに戻る
カテゴリ
全体
愛犬
コラム

易経

その他
スピリチュアル
老犬介護
未分類
以前の記事
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 02月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
お気に入りブログ
日々の暮らしとわんこと手...
ライフログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
<   2005年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧
なくす悲しみとなくした悲しみ
何かをなくすと判っていると、悲しいし辛い。何とか無くさずにいられるようにと、懸命になる。懸命になればなるほど「なくすかもしれない」という苦しさからある程度逃げられる。そして「なくすかもしれない」と思えば思うほど、一生懸命になることの大切さを知る。闘病であれば生きている今という時間の大切さを知る。抱き合い、手をつなぎ「一緒に頑張ろう」と支えあうことの喜びも知る。そこにいてくれる、という事だけで幸せを感じたりもする。

ならば、なくしてしまった悲しみはどうしたらいいのだろうか?
一生懸命になる理由も見つからない。喪失感や、失ったものの大きさ、行き場のない気持ちを抱えてしまうことが多い。

なくした悲しみから何度も涙を流し、もう一度会いたい、もう一度声が聞きたい、もう一度触れたいと苦しむ。苦しいほどの悲しみを一体どうしたらいいのだろうか?

しかし、悲しいこと、苦しい事を責めてはいけない。それだけ悲しく辛いということは、その人に対して愛情が深く、悼む気持ちが強いのだから、その気持ちを失うことは反対に寂しい。自分自身は辛くて悲しいが、なくした人にとってはそれだけ愛情をかけてもらえる人生を送った証拠だし、その人本人の人生もそれだけ立派だったと思っていいのではないだろうか。
多くの人はその人がいなくなった事が徐々に記憶から薄れていくけれど、多くなくていい一人でいい。悲しんでくれる、悼んでくれる、そんな人がいてくれのなら、いなくなってしまった人は嬉しいのではないだろうか?

もう一度声が聞きたい、もう一度触れたいとあなたが思う気持ちは、あなたの大切な人も同じように持っているはずだと思う。愛情一杯のあなたを置いて去らなくてはならかなったなんて辛くて悲しかっただろう。だからこそ、大切な人まで懸命に生きて、いつか笑顔で「私は元気だよ」とその人に語り掛けれる日が来る事がきたらいいなと思う。


辛くて悲しみを消す方法は今でもみつからないけれど、
大切な人が抱えていた”去らなくてはならなかった悲しみ”を
知ることは、辛さを減らしてくれる気がする。
[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-30 00:14 |
病院にて
こけたのが一体何時だったか覚えがないが、2時には家にいた。病院の診察までは4時間ある。待つには長い時間だ。手当てが遅れたために傷跡が残ったなんて事にならないといいのだが。

6時になり病院でやっと診察。
診察室に入るとどうやら先生は女医さんだ。よかった、これなら私の気持ちを理解してしっかりと治療してくれるに違いない。
先生も私の顔を見るなり「あら~やっちゃったわね~」という。
私は「先生、お願いです。傷跡の残らないように治療してください。痛いのは我慢します」と半べそでお願い。
すると先生は「まあ、落ち着いて。ね。判ったから落ち着いて」という。4時間も待ったのでここにたどり着いた途端我慢していたものが一気に噴出した感じだったのだが、それが判ったのだろう。
「とにかく座って。バッグはここに置いて、ね。座りましょう」と又言う。
椅子を探したが座ろうとしたら又こけそうになった。それにしても診察する気があるのか、この先生は。一向に治療の用意をしようともしない。椅子に座ることもしないし、私の体を横に向けてしまう。結構失礼な先生だ。
焦って「先生、私大丈夫でしょうか?」と椅子を先生の方に向けながら言うと
先生は「大丈夫よ。そんなのかすり傷だから。ま、落ち着いて」と又落ち着くという言葉を使う。
その時「さ~て、どうしたかな?」と白衣のおじさんが横から出てきて言う。
「あ~、顔から転んだの? ま、大したことないよ」といい、私の座った椅子の前に座るのだが、あんた誰?
まさか・・・・私が先生と思っていた女性を見ると看護師の格好をしている。は?
ほんとだ、私は取り乱していたようだ。この上なく恥かしい。

先生は私が応急処置で流しきれなかったアスファルトの粉のようなものが残っていてそれを取り除き、消毒をしてくれた。消毒をしながら「明日は自分でやってね。出来るでしょ?」というではないか。
「は?どうしてですか?」と聞いた。先生は「出来ないならここに来てもいいけど、面倒でしょ?」という。は?今日だけで処置は終わりなの?
「でも、先生。傷跡が残ると困るのです。これでも大切な顔なんで」と言うと
「小学生なら、消毒だけで終わるよ。それぐらいの傷だから跡は残らず綺麗に直るんだから、そう、心配するなって、な」と言うが私は年食ってるど!!!!!
しかし、それでも重症と思っていた私は納得がいかない。「もう来なくてもいいって事でしょうか?」と確認すると
「大丈夫さ。あ、でもね、治っていく段階でかさぶたが出来るよ。みっともないわな~。でもかさぶたが取れたら綺麗になってるからね」との事。
他に怪我が無い事を確認し治療は終わり。
重症と思っていた私は実は軽症で、足取りも軽くなった。


待合室で清算を待っている間、患者さんがいなかったので又、先生が顔を出してくれた。
「いや~、転んだ時に顔で止まったんだね。顔で地面を受け止めたとも言うが。とにかく心配しなくて良いよ。大丈夫だからね」と言ってくれた。非常に優しい先生だ。

「顔から転ぶなんて、何してたの?」と聞かれた。「犬の散歩です」と言うと「これからは気をつけなさいね」と言ってくれた。この先生が大好きだ。来なくていいといわれても診察へ行くことにしよう。
[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-26 23:33 | その他
最悪のクリスマス
今日はお出かけの予定だったので、外出前にジュディーとさくらの散歩を済ませようとある施設の駐車場へ出かけた。ここは人が少ないわりに広い駐車場なので時々使わせてもらっている。

傾斜地を削って作った場所なので駐車場を囲むように斜面がある。2匹はその斜面を上がったり降りたりするのが好きで、私も一緒に上がっていく。所がジュディーが足を滑らせて滑って落ちていくではないか。私は慌ててジュディーを助けようと走って斜面を下っていった。
が、もう少しでジュディーを助けれるという所で、私が転んだ。
結構痛かったがそれどころではなく、ジュディーを振り返った。しかし、姿がない。走って行くと溝にはまってうずくまっている。直ぐに抱き上げるが、怪我は無いようだ。一安心。所がとたんに痛みが出てきた。かなり痛いがその痛みが顔であると知る。
慌てて車に戻りサイドミラーで顔を写してみる。ぎゃー!!!!なんじゃーこりゃー!!!!
なんと顔から出血している
直ぐに車に乗り家に帰る事にしたが、顔が痛くて仕方なくうずくまっているとジュディーが私を覗き込み心配そうな顔で見ている。そして私の顔を一生懸命になめてくれる。なんと優しい子だろう。

父が着ていたダウンジャケットを着ていたが、帰る途中そのジャケットの前面は真っ白で擦れた跡と穴が数箇所開いているのを発見。かなり動転した。何よこれ?どうやってこけたのよ?私って重症?バックミラーで再度顔を写してみると動転を通り越して気絶しそうになった。かなりひどいこけ方をしたんだ・・・・間違いない。よく生きていた。

何とか家に帰り当直を探したが6時からしか診察がないらしい。とにかく応急処置で顔を水で洗い流したが、これは絶対に傷跡が残ると思い、愕然とする。
痛みがあったので6時までの間横になった。
するとジュディーはやはり私を気遣いそっと横に付き添ってくれた。さくらは?というと。。。。私のお腹の上に乗っかり「ね、散歩は終わり?」とでも言っているようだ。あんたの天真爛漫さが羨ましいよ!!!!!!
しかし、急に私の顔のにおいをクンクンと嗅ぎ、じーっと見つめる。あ、やっぱりさくらも私が怪我をしたのが判ったのね。と思った反面そんなにひどいのかと落ち込んだ。

徐々に冷静さを取り戻していき、考えたらひざ小僧が少し擦りむけた程度で殆ど怪我がないと気がつく。それは父のダウンジャケットを着ていたからだと思う。これはかなり地厚で表面もしっかりとしている。父が退院をして少し元気になったとき「来年も着る」と私と一緒に買ったものだ。残念ながら願いが叶わなかったので、父の代わりに私がこれを着て散歩へ行く。
この厚手のジャケットが衝撃の殆どを吸収してくれたため私のジーンズなどは傷一つない。もしこれが夏場だったら私の前身は傷だらけだっただろう。顔の傷ももっと深かったに違いない。
「これは父が守ってくれたんだ。そうに決まっている」と考えようとしたが、よりにもよって顔が一番ひどいなんて。それって、どーよ?

さらに病院へ行った時のシュミレーションもした。まず先生に「顔の傷跡ができるだけ残らないようにしてください」ということだけは忘れないようにお願いをすること。それからこの先の最善の手当て方法を聞く事も忘れてはならない。が、そう考えれば考えるほど落ち込む。こんな顔になるなんて・・・・・
早めに結婚をしておけばよかった。もっと厚化粧をしておけばよかった。体を鍛えておけばよかった。後悔も次から次に出てくる。


それより、ジュディー、お願いだらこれからはこけないで!!!!!!!!


明日は、外科での私の様子をリポート予定

<おまけ>
どこまでも元気なさくら・・・・・
c0057041_23121339.jpg

[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-25 23:12 | その他
very merry Xmas!!!!
クリスマス・イブになると思い出すことがある。
父が発病してから始めて入院した日の事だ。あの日の父の表情は今でも忘れられない。

ふと、父に届くはずはないが、手紙を書いてみたくなった。



「父へ
前略
そちらではどんな生活をしていますか。
私は元気にしています。
それより、お父さんが今元気にしているのかが毎日気になっています。


それから、私が大好きな恭平はどうしていますか?
今、お父さんと一緒にいると思うので
私の代わりに恭平を抱っこしてあげてください。


これからも、一生懸命生きていくつもりですが
お父さんがいなくて困ることが多く、今更ながら「父」という存在を
大きく感じています。
きっといつもの口調で「今頃判ったか?」と言うでしょう。
しかし、こんな娘のためでも今までと同じように私の父でいて下さい。
親孝行は出来ないけれど
いつまでも甘えてばかりだけれど
心配をかけてばかりだけれど
私の父でいて下さい。

私にはあなたの声が今でも聞こえます。
いつもそっと助言をしてくれるその声が聞こえます。
「ありがとう」と言った私の声が届くでしょうか?



最愛なる父へ」
[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-25 00:59 | その他
セーター
今年の冬は寒いのでジュディーとさくらにはセーターを着せて出かける。
今日も出かけようと用意をしていたら、ジュディーもさくらもソワソワし始めた。
いつものようにセーターを着せようと思った時、さくらは自分からセーターの中に自分の頭を突っ込んできた。早くセーターを着ないと置いていかれるとでも思ったのか? で、右足、左足を順番に上に上げ自分から足を突っ込んでくる。そんなに慌てなくてもつれて行ってあげるのに。

で、次はジュディーのセーターを着せる順番だ。セーターを丸めジュディーの頭に着せようと思ったその瞬間。。。。。さくらが横から入り込んでセーターに頭をつっこんだ。ジュディーはそのさくらにオロオロで「これって私のセーターでしょ?」と言わんばかりに私の顔を見る。
「さくらのじゃないのよ。あなたはもう着たでしょ?」ともう一度ジュディーに着せようとすると又さくらは頭を突っ込んでくる。3度目にさくらが頭を突っ込んだ時にはさすがに「じゃかーしー!!!ちゃんと待ってないと怒るよ!!!!!」と言った。さくらはしょんぼり。。。。
一体、さくらは頭がいいのか悪いのか・・・・・・

家にいても着ていると気もあるが、夜寝る時は脱がしてから寝る。いつも私の口癖で「はい、バンザイ」と言って脱がせるのだが、ジュディーは特に何も反応をしないので私が強引にセーターを引っ張って脱がせる。
さくらはとうと、自分から立ち上がって両前足を上に上げてセーターを脱がせてもらう。どうしてかというと、セーターを脱ぐと寒いのでさっさと脱いでさっさと布団に入りたいのだ。
犬という動物は以外にもそういった知恵が働く。中々侮れない動物だ。


<おまけ>
枯葉舞い散る秋の日、写真撮影に不機嫌な2匹。
c0057041_016636.jpg

[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-23 00:16 | 愛犬
生け花
私はお客さんが来るときは花を生ける。日本古来の生け花だ。
日曜日のためにも花を生けた。私が好きな桔梗を使った控えめな感じにしてみた。
納得の行くように生けることができたので、早速玄関に飾った。うん、中々落ち着いていていい。

今日も玄関の花を眺め、お水を少し足した。すると
ビチャビチャと音がする。
振り返るとジュディーが水盤のお水を飲んでいる・・・・・・
ジュ、ジュディー・・・・あなた確か前も水盤のお水を飲んだよね?

ペットはとても可愛いがせっかく生けた花を褒めてくれる事は無い。淋しいことだ。
生けた花を床に置く事を前提としている場合、生ける時も水盤を床に置いて生けるのだが、そういえば恭平も花を生けている時に、切った先の茎や生ける予定の花を咥えて走り去った事が何度もある。

猫に小判
犬に生け花
喉の渇きに水盤の水
なり・・・・


<おまけ>
やっぱりカメラ目線を完全拒否の2匹
c0057041_23404575.jpg

[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-20 23:40 | 愛犬
鼻ちょうちん
昨日は父の三回忌と祖母の十三回忌だった。お客さんの中には犬を苦手とする人もいるし、毛が洋服につくのを嫌がる人もいるため、こういうときはジュディーとさくらはいつも2階で待たせている。寒がりの2匹のためにストーブをつけ、電気カーペットも電源を入れて寒くないようにしているが、下に下りて皆の仲間に入りたいため階段に置いてある柵のところからしつこくキュンキュンと「ここにいるから仲間に入れて」と要求をする。階段にはストーブをつけていないから寒いはずなのに、こういうときは震う程寒くてもあきらめない。

無事に終わり、殆ど皆さんが帰られた後2匹を1階に下ろした。すると、余程寒かったのかいつまでも震っている。ジュディーはどうしても寒かったようでひざ掛けにもぐりこんだ。
さくらは私に抱っこをしてほしいと要求するのでこのときばかりは震えないようにしっかりと抱っこをしてあげた。私に「あったかいよ。ありがと」とでも言いたげに見上げたその顔に・・・・・鼻ちょうちんが。。。。思い切り笑った。すると「何がおかしいの?」と私の顔をじっと見つめるが本来鼻呼吸の動物であるため、その鼻ちょうちんはちょっと拡大した。余計に笑った。

犬でも寒いと鼻水をたらすことがあるが、鼻ちょうちんは人間でもしばらくお目にかかったことがない。非常に貴重なものをみたのかもしれない。



さて、法事のほうだが。
人は大切な人を亡くすとしばらくその人の話題が出る。
生前の癖や、話し方、会話の思い出、等はもちろん「あんなに元気だったのに」というような故人を悼む言葉も出る。しかし、関係が遠くなるほどその悲しみが薄れるのも早く、中には話題にすらしない人もいる。関係が濃くなるとやはり父や祖母の事を話題にし懐かしむが、そこに涙はもうない。
もちろんそういうものだと思うのだが。

しかし、私はこれからも皆が父や祖母を忘れてしまってもいつまでも忘れることなく、父と祖母を悼む気持ちや悲しむ気持ちを持ち続けるだろう。誰かに何時までもしつこいと思われても、花を供え、ご飯を用意し、今までの口調で話しかけ、時々父の悪口を言い、目を閉じて二人の笑顔を思い出していくだろう。
[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-19 23:31 |
寒さに弱い
寒さに弱い犬種もあるが、うちのジュディーとさくらはその寒さに弱い犬種だ。
昼間はストーブの番人をし、夜は布団にもぐりこみ、寒さを徹底的に避ける。あまりに寒がるのでセーターを着せて少しでも冷えから守ろうとしているが、それでも寒いらしくソファに座ると私にぴったりくっつく。
所が、散歩となると寒さも全く気にせず走り回る。それも毎日欠かさずに散歩へ行く。これが人間だったら寒いから今日は出かけるのをやめて明日にしよう、と考えたりするが2匹にはそういう柔軟性は無い。
で、散歩から帰ったらおやつを食べて直ぐにストーブの前を陣取る。これでは私が温まる場所すらない。
おトイレは庭で済ますが、寒い時はこそっと部屋を出てこそっと家の中のトイレで用を足す。戻ったら又ストーブの前。おいっ!!!


昨日、2匹を連れて外出から帰ったとき、リビングのストーブをつけず自分の部屋のストーブをつけた。所が2匹は火のついていないストーブの前に座りじっとストーブを眺めている。呆れてしまった。しばらく無視をしているとさくらが私の所へ走ってきて寒いから抱っこをしろとせがむ。ストーブに火がついていないことが判ったようだ。が、ジュディーはストーブと私を交互に見て「火がついてない・・・」と訴える。余程寒いのだろう。ついついストーブをつけてしまった。。。。。


最近、犬って一体何者なんだろう?と不思議に思うことがある。自分の欲望に忠実で素直でもある。しかし、世話がかかって、わがままで、勝手なのに一緒にいると嬉しいこともあるし、楽しいこともある。それに癒されたり、何もしてくれないけれど励まされたような気になる事もある。
ひょっとして犬の素直さに人間は勝てないため、人間が犬に都合よく動かされてしまうのだろうか? 

寒いと訴える2匹のために今年の新作のセーターを編みながら「今日も私は2匹に動かされて生活をしている」とぼやいてしまった。

<おまけ>
カメラ目線をしてくれない2匹
c0057041_02765.jpg

[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-15 00:02 | 愛犬
四大難
水雷屯、水山けん、坎為水、沢水困を易では四大難の卦という。
誰の人生にも等しく訪れる苦難というものは、避けては通れない。しかし、その苦難の時期が何時来るのかなどとは誰も想像が出来ない
人間には苦難が訪れた時に乗り越える知恵をつける事ぐらいしか出来ないのかもしれない。

その四大難は、
水雷屯は生みの困難
水山けんは進むも退くもならず苦しむ
坎為水は重なる険難
沢水困は困窮、苦しい状態
と、困難の状態を表している。

どれをとっても私には考えるだけで落ち込みそうな状況だ。
しかし、振り返ってみればどれも経験した事のある苦しみなのかもしれない。
それらをどんな形であれ乗り越えてきたからこそ、今があるとも思う。


父が癌と宣告された時、きっと今までの経験した苦難の中で一番辛い苦難だった気がする。それは余命を含めた宣告だったからだ。その後、恭平が同じく癌の宣告をされた時、重なる苦難を味わった。しかし、その宣告の苦しみを味わったからこそ父と恭平と過ごした時間は貴重なものになったと思う。
運命を呪い、病を憎み、残り少ない時間を悔しく思いもがき苦しい時もあった。だからこそ父の希望が叶った時、父の望み通りになった時、恭平が私に甘える時、しっぽを振り喜ぶ時、ほんのささいな事でさえ喜ぶことが出来たのだろう。
来週は父の三回忌がある。同じ日に祖母の十三回忌も行う。10月には恭平の三回忌を済ませた。こうして父、恭平、祖母を思うとき苦労、苦難、険難を思い出さずにはいられないのだが、それ以上に貴重だった父、恭平、祖母と過ごした時間を大切にしていきたいと思う。


そう、私の名前は割りと知られた名前だが、祖母がつけてくれた。そして、祖母が「同じ名前だね」と笑顔で喜んだ。そして「恭平はハンサムだね」と笑顔で恭平の頭をなぜていた。
もう一度祖母のあの笑顔を見てみたい気がする。


<おまけ>
さくらが嬉しいと私も嬉しい
c0057041_0382177.jpg

[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-10 00:38 | 易経
坎為水(習坎しゅうかん)
習坎は孵(まこと)あり。維れ心と亨(とお)る。行けば尚ばるることあり


習坎の習とは重なり合ったという意味で、坎は落とし穴、陥没という意味。つまり落とし穴に落ち込んだとか、重なる難儀を意味しているが、そんな時にも心に誠信を失わなければ願いは通る。結局、難儀が重なる時には一つ一つ難儀を乗り越えていくしかないが、そういう辛い時期こそその人の輝きが見えるものである。つまりは難儀の重なる時をいかに過ごし、いかに乗り越えるかなのだ。
「行けば尚ばるることあり」とは難儀を乗り越えて進むなら人に褒められるような業績をあげたりする、というような意味だ。どんな障害に会おうとも不退転の意志を持って進む姿は確かに素晴らしい。反対に難儀の中でおぼれるようなことはできるならさけたい。

そして、坎は水を表しているが水は本来高い所から低い所へ流れていき、行く手に大きな穴があればその穴を満たし、絶壁であろうと障害物であろうと進み流れていく。水とはこのように水の本質、約束事を絶対に破ることはしない。つまり律儀であるのだ。そしてその律儀の意味の中には「信念を変えずに進む」ということが含まれていて、その事を誠だと孚(まこと)と言う。

難儀が重なることや、思わぬ落とし穴にはまる、難儀に陥ることは誰の身にもある。そんな時いかに自分がその難儀を乗り越えていくか、それも大切であるが、乗り越えた後には一回りも二回りも成長した自分がいるはずだ。
そして、その時期の乗り越え方、対応の仕方、自分の信念の貫き方など色々な事を試されている部分もあるのではないかと思う。
そういう時期であるからこそ、苦難を乗り越える力をつけていきたい。
それと、この卦の次は太陽という意味の卦が続くことも覚えていて損は無い。
[PR]
by kyouhei414 | 2005-12-04 23:24 | 易経