タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
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私が散歩へ連れて行けないときは母が連れて行くが、近所の人とおしゃべりをして立ち止まることが多い。
恭平がいた頃、母は恭平だけはリードをつけずに散歩へ出かけていた(本当はいけないことだが・・・)。ところが、母が立ち話を始めるといつまでたっても散歩へいけないと判っている恭平は一人でさっさと家に帰って来る。それもどこかへ立ち寄るわけでもなく、まっすぐ家に帰るらしい。そしてそういう時はいくら呼び戻しても全く無視をして、一人でいや一匹で家に帰る。
ある時恭平が家に帰るのを見たさくらがキュンキュン言い出したので、ひょっとしたら恭平について家に帰るかもしれないと思い、リードを放したらしい。すると案の定さくらは恭平の後ろをついて歩き、家に帰ってきた。自分のことを無視してさっさと歩くその時の父と娘の姿はなんとも憎たらしかったと母が言っていた。
ただ、ジュディーは一人母の相手をさせられたらしいが大人しいのも案外損だ。


しかし、恭平がいなくなってからは2匹とも母の立ち話につき合わされる。
先日、母が「さくらが一人で家に帰った」と言う。聞けば立ち話のついでに庭に咲いている花をもらおうとさくらを木につないでおいたらしい。気がつくとさくらがいない。来た道を見てみるとリードをつけたままお尻をフリフリしながら一人で家の方へ戻っていくさくらをみつけた。母と近所の人は慌てて「さくら~」と呼んだがさくらは振り返るものの戻ってくる様子はなく、それどころか又家に向かって歩き出した。どうやら立ち話が長くなると思ったようで「こんなところで暇をつぶすのは冗談じゃない。家に帰って昼寝でもしたほうがよっぽどましだ」と一人で歩いて帰って行くといのだ。
全く、さくらは賢いのかわがままなのか。。。。。


一応、車が来ると止まるようにしつけはしてあるのだが、それでも危険なのでちゃんとつないで歩いてと、頼んだのだが、オチオチ母に散歩を任せるのも不安になる・・・・
それにしても、誰もいない家に帰ったとしてどうやって家の中に入るつもりだったのだろう?

たまには犬以外の画像でお楽しみください 
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by kyouhei414 | 2006-10-28 22:57 | 愛犬
雷沢帰妹    
帰妹とは妹(年少の娘)を長男に帰(とつ)がせるという意味。しかし、年少の娘にふさわしいのは少年であり、行けば凶。何もいいことはない。形でいうと少女が長男に嫁ぐ事を表していて、その上女の方から先立って行動を起こす。そのこと自体が不祥であり、はじめから無理があるので長続きもしないし、嫁げば凶となる状態を表している。

天地も陰陽こもごも感じあうことがなければ万物は発生しない。同様に帰妹こそは人倫の終始をなすものだとも言えよう。
と、天地の原理のようなものも強調していて嫁ぐことが悪いのではなく、はじめるときに無理がないか、万事に遠い将来の終わりまでを見通して行動をするか、というところが重要だと言っている。”はじめが悪いと失敗を招く”ことをしる卦なのだ。


細木氏の番組で独立して経営を始めたがうまくいかない、というような相談を話し合っていた。腕があるから独立をする、というのはいたって普通の考えでそれ自体が悪いということではない。しかし、はじめるときに経営を勉強したのか、資金繰りなどの試算を行ったのか、様々なことを準備しなくてはならない。はじめにそれらを間違えてしまうとボタンを掛け違えたように悪い方向へと進んで行き、結局は失敗を招いていしまう。
しかし、どちらかというと誰でも最初の間違いを指摘するより、都合の良い方へ考え「値段を下げたらひょっとしたらいけるかも」とか「場所が悪かっただけかも」などと考え判断をにごらせる。


私も最初の判断を誤るのは常で、ついつい自分の都合の良い方へ考え、事態の悪化を招く。最悪の場合は一からはじめなければならないという羽目に陥る。
よく地図を見ないで車を走らせ結局道に迷い、目的地にたどり着けないとか
セーターの網目を最初に作るときによく確認せず、出来上がったら食い違ってはじめからやり直しとか、小さな事でも上げたらきりがないほど出てくる。
人生の大切な場面でも当然のように同じようにはじめが悪くて失敗。。。なんて経験した。



物事がなるにはタイミングというのも大切だ。無理に自分からタイミングを作って見切り発車さえしないこと。。。失敗をしないためには覚えておいてもよさそうだ。 
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by kyouhei414 | 2006-10-28 00:15 | 易経
平和
2匹はくっついて寝ることはない。お昼寝のときも離れて寝るし、夜も私の右と左と言う感じで絶対に2匹が並んで寝ることはない。
なのに、このときはなぜか2匹並んで寝ていた。それも顔を並べて。本当に珍しいので撮影。。。。


先日、広島ドッグ・パークでの譲渡会が行われたようだ。ニュースで流れる映像には笑顔が沢山で、本当に良かったと感じる。それにしてもあんなに多くの人たちが里親を希望していたとは思わなかった。多くの家族、犬がお互いに幸せになるだろうと思うが、反面子供を餓死させたというニュースが流れたり、愛情の裏表が極端になってきている気がしないでもない。

ただ、ドッグ・パークの犬達にしろ、その子供のことにしろ「餓死」という恐ろしい事実が共通している。何が恐ろしいというと餓死というのは一日や二日ではありえない。長い時間がそこにはあり、その間衰弱する犬や子供を見ていながら平然と生活が出来る心理が恐ろしい。
生きる権利すら奪うその行為だけでも許されることではないし、ましてや自分より弱い立場の子供や動物を自分の都合で死に追いやるなどとは、正気の沙汰とは思えない。

しかし、すべての人間が素晴らしいわけではなく中には自分より弱い命をおろそかにするどうしようもない人間もいる。いつの時代にも、これからの時代にもその事実は変わらない。
だからどうしようもないのかというと、反対に弱い命を大切にして守る人がいるのだからそれは忘れてはならない。

ドッグ・パークの件では命を粗末にする側、大切にする側、両方の側から全体を見る事が出来たという良い一例なのかもしれない。
それに命を粗末にする人より、大切にする人たちの方が絶対に多くて強いと改めて知ることができた気がする。
だからこそ、子供の虐待や餓死などの問題にも手遅れになる前にもう少し踏み込んで対応をする必要があるとも言っているような気もする。

守れる命、救える命を見捨てない力の方が絶対に大きくて強い。
新しく決まった里親に抱っこをされる犬達の安堵の表情、それはあの餓死をしてしまった子供にも見たかった気がする。



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by kyouhei414 | 2006-10-24 00:29 | 愛犬
何を言ってるんだか
昨日の日記を読み、何を言ってるんだ?と自分で思った。
基本的に私は文章を書くときには下書きもしないし、読み返してきちんとした文章に直したりなどはしない。
そのときに思ったことを書くだけなので、誤字脱字は当たり前で後から読み直して変な文章、と思うこともしばしばなのだ。それでよく平気で続けていられるな?と思うが今日は特にそれを強く思った。


と、気持ちを新たにして下書きでもするか?と思ったがやはり性格的に続きそうにないので、今までどおりで行こう。それが長続きのコツでもある!!!!


さて、ジュディーとさくらがとても好きで時々行く公園があるのだがその公園では必ず母も一緒に来てランチをするのがいつものことになっている。
その公園だが、少し斜面があり頂上付近で皆がお弁当を広げる場所になっていて、私達もその頂上でランチをする。母は必ずコンビニで2匹のおやつを買う。私達がランチをするときに2匹が何も食べ物がないと可愛そうというのが理由だ。
一度、その頂上でマットを広げランチをし、2匹もおやつをもらったことをさくらはしっかり覚えていて、その公園では何も言わなくても2匹は頂上目指して走る。そして、マットを広げるのをじっと待ち、バッグの中に顔をつっこみおやつを探す。そして、おやつを頂戴してから走る。私達がランチをしていようが、何をしていようがこの公園での行事のはじめのおやつをゲッツしたのなら次は、走るだけなのだ。全く都合のいい動物だ。

母はおやつを投げて2匹にキャッチさせるのが好きで、上手にキャッチするとアホみたいに「ジョウズだね~。もっとあげるね」と調子に乗る。2匹の方が賢くて仕方なく母に付き合うというとても立派なワンコだ。

2匹の違いは。。。。
さくらがおやつをキャッチしてジュディーが出来なかったとき、ジュディーは「あれ?」と地面を必死で探す。
ジュディーがおやつをキャッチしてさくらが出来なかったときは、母に「次のを頂戴」と要求し、地面を探すことすらしない。もちろんキャッチできたときも次を要求する。
どちらがどうとはいえないが、少々ドンくさいジュディーをついついかばってしまうのである。。。。。


さくらが空中おやつキャッチ
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ジュディーは地面を探し、さくらは次を要求
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by kyouhei414 | 2006-10-19 23:30 | 愛犬
命日
まさか、恭平がいなくなって3年? と思うほど時間が早く過ぎていった。間違いじゃないかと自分の日記を見て確かめてみる。やはり3年前の今日だった。本当に早い。

私は正直言うと愛犬家ではない。動物愛護精神が強いわけでもない。それより、ペットとどんな関係なのか?ということに惹かれる方だ。
動物愛護という言葉には「愛情があるから(好きだから)守る、保護する」という響きを感じるが(個人的見解)、ある国では「人間より弱い動物を守る、保護する」ということを動物愛護というらしい。愛情を持つことは当然であるが、それより自分より弱い動物といかに共存するか、どのように上手に関わるか、又、自分も動物の一員としてあるべき姿は一体どんなものなのか? といった、事の方に重点が置かれるようだ。
そういう意味からすると、私は恭平との関係にとても自信がある。「どのように可愛がったか」という部分では自信がない。
それでも、私は恭平との関係に対する自信はゆるがないし、これからもずっと恭平と私の関係を大切にしていくだろ。


そして今思うとペットとして恭平に与えたことより、恭平から教えてもらったことの方が多い気がするし、なにより本当に恭平と過ごした時間は楽しかった。そして感謝したい。




コメントを下さった方へ
ありがとうございました
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by kyouhei414 | 2006-10-18 23:18 | 愛犬
家族
昨夜、家族で焼肉を食べに出かけた。でも家族が3人になったことにはなかなか慣れない。
今更だけれど、父という存在は大きい事を改めて知る。いつも落ち着いていて冷静で、しかし朗らかではなかったが、何を聞いても答えが返ってくる父を尊敬している。

最近、弟が懸命に父を越そうと頑張っている気がする。しかし、弟には父は越せないだろう。知識の豊富さ、聡明さ、そういう部分では特に父を越すことは出来ない。もちろん私にも父を越すことは出来ない。なぜなら、勤勉でないからだ。そして勉強が嫌いなのだ。

父は勉強も出来たし頭も良かったらしいが、父親がいないため大学へは行けなかった。だからといって、勉強をあきらめることはなかったようだ。英語を勉強しようと教会へ通ったらしく、父の本棚にはその時の英語の教本が数冊、今でも残っているし、歴史の本や、文学書などもその父の足跡を残している。
私の本棚というと・・・・なんじゃこりゃ?で、父に「お前はろくな本を読まない。くだらない本は捨てろ」と言われてクソ親父と思ったことがあるが、確かにろくな本は並んでいない。

焼肉を食べながら、疑問に思った事がありふと父のことを思い出した。私が質問をすると答える前に「そんな事も知らないのか」と言ってから答えるのが父の癖だった。腹の立つ一言だが、それでも今になるととても懐かしい。

もう一度父と話が出来るなら・・・・
その前に少しでも父に近づけるよう勤勉になろう。
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by kyouhei414 | 2006-10-16 23:47 |
前世
昨日テレビで前世のことを放送していた。私はあまり信じるほうではないけれど、もしあるとしたら・・・・

恭平の前世はおじいちゃんだったのかもしれないと思う。父が6歳の時に亡くなった父のお父さんだ。頑張っている父をそっと見守るために恭平となって我が家にやってきたのだ。
私は初孫なのでそれとなく私のそばにいながら、ずっと父を見守ってきた。その役目が終わったから父の2ヶ月前に恭平は旅立った。恭平の命日は月は違うが父の誕生日と同じだ。
名前も、本当はもっとおしゃれな横文字にする予定だったのによりにもよって恭平などという人間の名前をつけたのも、前世のおじいちゃんが横文字が嫌いだったからだ。
そういえばおばあちゃんが亡くなったあと、いつも仏壇の前に座りじっと仏壇を見つめていた。「今日は花がないな」とぼやいていたんだ。そうだ。恭平はおじいちゃんの生まれ変わりだ。
恭平は美男子、と言われていたがおじいちゃんも美男子だった。間違いない。



しかし、
「もしそうだとしても確認が出来ないよなぁ。。。。残念だよな。。。。それより、おじいちゃんが犬に生まれ変わると思うなんて失礼だよ!!!!」
と、思ったとき番組が終わった。そしてわれに返り、私も相当物好きで影響されやすいやつだと気づいた。


そんなことより、そろそろ父の部屋を掃除しよう。

<今日の一枚>
嬉しそうに走るジュディー。結構早く走っているが、地面を這うように走るのでスピード感が全くない。
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by kyouhei414 | 2006-10-14 00:02 |
車窓
さくらはこうして車の窓の外を見ながらドライブするのが好きだ。
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ジュディーはなぜか助手席の窓から顔を出すのが好き
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2車線の道路では隣に並んだ車の中の人が、必ずどちらかを見つける。
1匹を最初に見るので2匹いると知ったときは驚いて「えー、2匹もいる~」と言われる。3匹だった頃、2匹目を見つけるときまでは大体反応が同じであるが、3匹目を見つけると「まだいる」と言われる。
歩いていても「2匹もいるんですか?」と言って来る人がたまにいて私は必ず「前は3匹でした」と答える。すると「えええー?」と言われる。
私はそれが快感だったりする変なやつだ。

しかし、たまに1匹だけを大事そうに連れている人を見ると、ちょっと真似したくなる。1匹を大事そうに抱っこしてのんびり散歩というのもいいじゃないか?

家の中では、どこを移動しても2匹は私の後ろをついてくる。朝も、2匹は一緒に階下に下りていき2匹だけ先に下へ行くなどと言うことは絶対にない。そんな様子を見た母は「3匹はいつもつるんでいる」といやみを言う。「3匹って何?うちは2匹しか犬はいないよ」と反論すると「3匹じゃ!!!!! いつでもどこでも一緒にいるなんてあなたは犬と一緒だ」と返された。
ガメラには逆らわないほうがいいらしい。。。。。。
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by kyouhei414 | 2006-10-11 23:18 | 愛犬
広島ドッグパーク
目を覆うばかりの惨状に自分の目を疑う。。。。。
本当にこのような状態が現実なのか? と怒りなどを通り越して「うそ?」というのが本当のところだ。
ボランティアの方達の活動はあちらこちらのブログなどで目にすることが出来るが、本当に頭の下がる思いで拝見している。物資は送らせてもらったけれど労働は難しいのが残念。。。。

人間の傲慢さ、命に対する軽い認識、そのほか様々な問題を含んでいて一言では言えないのだろうけれど、しかし、それ以上に大きいのは命を救おうとする人たちの強さ、たくましさだ。その力の強さが一匹でも多くの命を救うのだと思うと少しほっとする。

母は猛反対だけれど出来たらこの子達の中から我が家の家族として受け入れる事ができたらと思う。問題は、母だけではなくジュディーが大の犬嫌いであるためジュディーと相談をしいるところだが、ジュディーはいつも会う叔母のところのミッキーですら受け入れない。数日前にうちに来たラーメン屋さんのわんこに対しても家から追い出すほどの勢いで、ジュディーいわく「私はさくらしかダメなのよ!!!!!」だ・・・・
多分、引き取り手としての条件からは外れるような気がする。難しいところである。。。。。


しかし、誰かに救いの手を伸ばすときそれは自分が幸せでなくてはならない。幸せとは何不自由ないとか、お姫様のような生活をしているということではなく、心の中が幸せであるということだと思う。同情は誰にでもすぐに浮かんでくるけれど同情のいけないところは「消えやすい」というところで、本当に心が幸せな人は「同情」より「確信」を先に持つものらしい。確信とは「私が救いの手を伸ばすからには、あなたは必ず幸せになれる」というものでその気持ちは誰に対しても持てるものでもちろんすぐに消えるものではなくずっと心の中にあるものなのだ。
同じく、「可愛いから」というのも「消えやすい」。可愛いからペットが欲しい、と思うのなら「可愛くない時には捨てる」事ができてしまう。
ペットを飼うというのは、すぐに消え去る感情を脇に置き、その命ごとを大切に面倒が見ることが出来るかどうかという意味であることを忘れてしまっている。



私はどちらかというと「ジュディーとさくらに幸せにしてもらっている」方なので飼い主失格なのかもしれないがそれでも、2匹は私に対して幸せそうな表情をしてくれる。
今も2匹は平和そうに獏睡。。。。幸せだ
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by kyouhei414 | 2006-10-11 00:02 | 愛犬
従兄弟
父の従兄弟が今日、ひょっこり父に会いに来た。
以前「一度行くからね」と言っていたけれど、仕事が忙しくて中々来られなかったらしい。
この父の従兄弟は私が好きな一人で、慕っているというのが正しいかもしれない。
自分の好きな事を仕事にしていていわゆる芸術関係に携わっているのだが、いつも生き生きとしている姿に色々と教わる事が多い。
この日も「遅くなってしまって」と言いながら父の仏壇の前に座ったとき、本当に忙しかったけれど「一度行くからね」という言葉は嘘でもなければ、忘れたわけでもなかったのだと感じた。

父が病に倒れてからのことを知り、とても納得できた様子だった。どこかに「どうしてもう少し早く」という疑問が一番大きかったようでうっすら涙を浮かべながら「よく頑張った」とねぎらいの言葉を父にかけてくれた。
私も人前で涙を流すことは久しぶりだった。


来月は長野で個展を開くことになっているらしい。出来ることなら行ってみたい。
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by kyouhei414 | 2006-10-08 01:15 |