タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
Bowwow diary
にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
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# by kyouhei414 | 2012-07-01 01:20 | 愛犬
あっという間
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# by kyouhei414 | 2012-06-29 23:25 | 愛犬
どうやったらいいのか
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# by kyouhei414 | 2012-06-18 00:11 | 愛犬
配慮
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# by kyouhei414 | 2012-06-14 22:11 | 愛犬
金星の太陽面通過とジュディー
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写真{msn産経新聞より}



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ジュディーと私


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3月末の春の日とジュディー


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あの滝に出かけたときのジュディー
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# by kyouhei414 | 2012-06-09 13:23 | 老犬介護
老犬介護~ジュディーの記録9
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# by kyouhei414 | 2012-06-06 21:19 | 老犬介護
5月22日にi phone から私宛にメール送信された方へ
この記事はしばらく最新の記事として表示します。これ以外の最近の記事はこれ以降をご覧下さい。



以下本文*****************

5月22日にi phone からメールを下さった方に連絡があります。

どういうわけかメアドが確認できず、メールを返信できません。何とか連絡をさせていただきたいのですが、連絡方法が判りません。そのため、こちらにその旨ご連絡させていただきますので、もしこれを見られましたらメアドを教えてください。


ちなみに、アカシジア症候群という病気ですので正しい治療を行なえば必ずよくなると思います。
詳細はメールにて連絡させていただきます。

そうか、見てくださいますように。


sakura-mama
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# by kyouhei414 | 2012-06-04 21:29 | その他
老犬介護~ジュディーの記録8
記事引っ越し


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# by kyouhei414 | 2012-05-31 11:58 | 老犬介護
老犬介護~ジュディーの記録7
この記事は引越ししました
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# by kyouhei414 | 2012-05-26 00:29 | 老犬介護
老犬介護~ジュディーの記録6
引越ししました


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# by kyouhei414 | 2012-05-22 12:18 | 老犬介護
困ったさくら
引越しました
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# by kyouhei414 | 2012-05-15 22:27 | 愛犬
まれにみる
引っ越しました
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# by kyouhei414 | 2012-05-12 13:49 | その他
老犬介護~ジュディーの記録4
引っ越しました
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# by kyouhei414 | 2012-05-03 01:15 | 老犬介護
老犬ジュディーの記録2



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このシリーズは老犬となったジュディーの記録である。
老犬の扱いは初めての経験であり、正しい知識かどうかは判らない。しかし、たとえ反面教師になったとしてもどこかで誰かが参考になるのならと、時々記録という意味で掲載していくことにした。もちろん、老犬介護のスペシャリストなどがここを見てくださり、適切なアドバイスをいただけるのであれば幸いである。

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# by kyouhei414 | 2012-04-28 00:43 | 老犬介護
あけましておめでとうございます
あけましてって、今頃って気がしないでもない。。。。



記事引っ越しました
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# by kyouhei414 | 2012-01-09 23:42 | その他
なんだか忙しかった
今日の一枚。
いくつになってもさくらには優しいジュディー。

いくつになっても心が自由なさくら。


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# by kyouhei414 | 2011-11-29 17:44 | その他
戦争だ!!!!

今日の一枚。
日焼けが関係ないとシミだって気にならないよな、と言いながらシャッターをきる。そして紫外線との戦いに負けてる実感をかみしめる。。。。
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# by kyouhei414 | 2011-11-16 00:38 | その他
寒がり

今日の一枚。
盗み見
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# by kyouhei414 | 2011-11-11 00:23 | 愛犬
叔父の治療
叔父は今は抗がん剤を中止していると言っていた。
しかし、肺にある癌が大きくなってきているので、治療を再開することに決めたらしい。その矢先、叔父はめまいで入院し抗がん剤治療を延期した。
そして、やはりしんどいのは避けたいので来年から抗がん剤治療を再開することにしたという。


ひょっとして、叔父は抗がん剤治療をしてもしなくても進行はとても遅いのではないだろうか。そんな気がしてならない。私は医師ではないし専門家ではないのでなんとなく、ではあるが。
抗がん剤地蝶を始めてから、もう何度も治療を休み、再開し、という事を繰り返していてそれがいいのだろうか。

叔父は、個性的な人生観を持っているがその人生観が癌の進行を遅らせているのだろうかと考えたりするが、本当の所はよく判らない。
ただ、気づいたのだが叔父は病と闘う自分の運命に対して文句を言ったことがない。
「なっちまったものはしょうがない。ケセラセラでいく」とは言うが
「どうしてオレがこんな病と闘わなければいけない? どうしてこんな病気になったんだ」など、私が同じ立場なら絶対に言うであろう言葉を叔父からは聞いた事がない。。。。。。


ひょっとしてそれが本当の叔父の強さだろうか。
叔父に課せられた人生の課題は、本当の強さをみんなに残す事なのだろうか?
それとも、同じ病の人たちに
「自分の生き方を通せ」と強く生きることを伝えることなのだろうか?
いや、そうであってほしい。
これからも自分の生き方を貫く叔父を見ることが私の課題なのかもしれない。


今日の一枚
ちょっと間抜け顔。


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# by kyouhei414 | 2011-10-31 00:11 |
がんばるジュディー


今日の一枚

人の布団の中で寝ぼけるジュディー
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# by kyouhei414 | 2011-10-25 00:32 | 愛犬
恭平との再会

今日の一枚
トド
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# by kyouhei414 | 2011-10-22 00:14 | 愛犬
柳ジョージ
今月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去。63歳だったそうだ。

このニュースは12日に知ったのだが、やはりショックだった。というのも、若い頃私は柳ジョージの曲を聴いていた時期がある。コンサートへも何度か足を運んだ。
まだ20台になるかならないかぐらいだったと思うが、その頃はコンサートで見かけるファンとしては若い方だった。
渋い趣味だね、と言われたこともある。しかし、今聞いても聞ける曲も多くどちらかというと今の年齢で聞いた方がしっくりくるほどだ。何年経っても聞ける音とあの声はファンになって良かったと思えるぐらいだ。


違う世界へ旅立ってしまったが彼の残した曲がこれからも多くの人を魅了し続けてほしい。
本当に残念だと思うけれど、きっとこの現世での役目が終わったのかもしれないし、ゆっくり休んでほしいと思う。




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# by kyouhei414 | 2011-10-20 00:02 | その他
叔父
昨日は、久しぶりにネットの電話で話をした。
思ったより元気そうだ。病状が一歩進んだと思い心配していたのだが、入院した原因がめまいでそれが良くなったら以前と変わらぬほどに回復したという。
お酒も飲んでいるとか・・・・さすがに禁煙はしたのだがお酒は体調のバロメーターのようになっているらしくお酒が飲めないな、と思うとそれは抗がん剤治療を一旦中止した方がよいというサインになるらしい。
7月から中止していた抗がん剤治療を再開しようと思っていた矢先にめまいで入院して今もまだ治療はしていないそうだ。


それにしても相変わらず叔父のマイペースさは強さを生んでいるなと思う。
人は色々なことに縛られ、先入観の中で迷い、思い込みに振り回される。本当に生きている意味というのはそういう事を取り除いた中からしか生まれないのかもしれない。


叔父は「自分しかダメだから、と言って来るお客がいるから店を開けるんだ」といい、床屋のお店を守っている。近所には格安料金の床屋もできたし、普通ならそれで平気でお店をやれるだろうか、心配になる。しかし、叔父はその辺りは気にしていない。確かにお客さんが減ったし閑散としている日もあるようだが、何人来るかではなく、何を望まれているかをしっかりと知っている。
あの叔父の腕と心がある限り、叔父から床屋の店を奪うことは誰にもできないだろう。たとえ叔父からお店がなくなったとしても叔父の心からお客さんを思う気持ちは消えないだろう。



そこまで思える仕事を自分は持っているだろうか。。。。そう考える時、
叔父からは仕事というのは単に収入を得るだけのものではなく何ができるかという事でもある、と教えられている気がするのである。



今日の一枚。
かなり珍しく他のワンちゃんに近寄るさくら。数年に一度、自分の好みの子と知り合えるらしい。。。。。。

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# by kyouhei414 | 2011-10-17 11:26 |
粒子線治療
粒子線治療についてこのページが以外に判りやすいので紹介をしておきます。
名古屋市・粒子線(陽子線・炭素線)治療とは



保健・医療・福祉の総合的エリアを目指すという事だが、粒子線治療が受けられるのはまだ先になる。
今は

南東北がん陽子線治療センター (福島県郡山市)
相澤病院 (長野県松本市)
筑波大学陽子線医学利用研究センター (茨城県つくば市)
国立がんセンター東病院 (千葉県柏市)
重粒子医科学センター病院 (千葉県千葉市)
群馬大学重粒子線医学研究センター (群馬県前橋市)
静岡県立がんセンター(静岡県駿東郡)
兵庫県立粒子線医療センター (兵庫県たつの市)
若狭湾エネルギー研究センター (福井県敦賀市)
福井県陽子線がん治療センター (福井県福井市)
がん粒子線治療研究センター (「ガイアの夜明け」で放送されたのはこちら)


などで治療が可能。
これから治療ができる場所は
九州国際重粒子線がん治療センター (佐賀県鳥栖市 ※…2013年以降の開始予定)
クオリティライフ城北 (愛知県名古屋市 ※…2012年以降の開始予定)

など。
こうしてみても治療が受けられる施設は多いようで少ない。
しかし、これからはもっと増えるだろうと思う。
施設が増えても治療費などが高額だという問題もあり、まだクリアしなくてはいけない問題も多いがこの粒子線治療という方法が選択肢として増えるのだからこれからもっと進歩して欲しい。
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# by kyouhei414 | 2011-10-12 23:40 |
ひとつ進んだ
茨城の叔父が様態が悪くなり今月始めに入院をしたという。2日で退院したとのことだが、病状は一歩進んだと判断してもいいだろうと思う。
詳しいことは検査をしないと判らないらしいが、とにかく回復して元気を取り戻して欲しいと願っている。

叔父が闘病を始めて8年近くになる。随分長い間病と闘ってきた。何度も手術をしてそれでも床屋のお店を守り、仕事をしてきた。私が叔父の家に泊まりに行った時も小学生の頃と変わらぬ姿で店に立っていた。

最近は、ネット電話で話をすることができて叔父は「便利な世の中になった。長生きはしてみるものだな」と笑っていた。私もまさか叔父とネットで話ができるとは思わなかったのだが、長生きはしてみるものだね(笑)



それにしても粒子線治療は保険がきくようにはならないのだろうか。。。。。
少しでも良い治療があるのならば、誰もが治療を受けられるような医療環境になって欲しい。叔父は抗がん剤の副作用が辛いのを経験しているし「やらなくては他に治療がないからな・・・」と抗がん剤治療を休みながらでも続けた。極端だけれど生きるために仕方なく受ける治療では治療とは言いにくい。
治療の設備を少しでも安くできようになるなら、もっと沢山の病院が導入するかもしれないしそういう意味ではまだこれから進歩していくだろうと思う。
そうあって欲しい。。。。。



叔父が元気になったら又茨城へ行こうと思う。
一緒になべを囲んであの叔父の笑顔を見ようと思う。
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# by kyouhei414 | 2011-10-10 23:53 |
スティーブ・ジョブズ氏の講演
スティーブ・ジョブズ氏が亡くなられた。その彼の有名な講演とされる前文の日本語を掲載。
一部を抜粋してあるのはよくみかけますが、全文を読む方が伝わるものが多いと感じました。


*******


ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった3つです。

最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。



2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。


3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。


私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。
Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。
ご清聴ありがとうございました。(
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# by kyouhei414 | 2011-10-10 00:02 | スピリチュアル
さくらちゃん転ぶ
転ぶなんて優しいものじゃなかった。
自宅2階の階段の途中から一番下まで転げ落ちた。

少し前も転げ落ちたことがあるが、その時はたまたま足がすべったのだと思っていたが、今回の転がり方を見て階段にもすべりfどめのカーペットをしたほうが良いかもしれないと思った。。。。

転がるさくらを助けるまもなく下まで転げ落ちたのだが、落ちるさくらの姿はスローモーションだった。そのとき、必死に体制を戻そうと試みるがそれすらできず捕まるところもなく落ちていった。

そして、その衝撃だろうと思うがどうやらヘルニアが再発した様子。動物病院が休みなので連れて行くことができなかったが、歩ける状態ではあるもののどこかに痛みがある様子だ。そして抱っこをするときに違和感があるようで自分から私の手にしがみついてくる。これは前にヘルニアだった時の症状と同じである。

ただ、前と違うのは痛がり方が前よりひどくないことと手足に力が入ることだ。手術した時には前足がダランとして力も入らなかったのだが、そういう場合は首のヘルニアという事が多いらしい。今回はそれも無く、実際にはヘルニアかどうかは診察を受けていないのでわからない。

動物病院も休みだし連れて行けないのでちょっと不安だが、様子を見ることにした。
すると、今日の朝になり大分良くなっていた。歩かせたりはせずトイレも連れて行ってさせて、終わったら抱っこして戻って、お水もご飯もさくらの元まで持っていき、負担をかけないようにはしていた。
こういうときはさくらも当たり前のように甘えてくるので、案外わきまえた行動をとっている。そのため安静を保ってくれているのが幸いしたのかもしれない。夕方には気づいたら自分でトイレに行って来たようだ。って私が出かけていていなかったのでガメラ談ではあるが。
夜には目にも力が戻ってきて、「散歩にはいかないの?」と訴える。本当に犬って強いよね~。



いつもはさくらとはひっついて寝たりしないジュディーがずっとさくらに寄り添うかのように隣で寝ている。
「やはり家族なんだ・・・・」
と、夕方の空を見上げつぶやくのであった。

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# by kyouhei414 | 2011-09-24 00:50 | 愛犬
運休
人生初の電車の運休に遭遇した。

それも、最初に運休が止まったその電車に乗っていたので、自分が降りる駅の手前2つ目の駅で停止してそれっきりだ。一時間ぐらい待っただろうか、それまで外に出たら雨で倒れるのではないかと思うほどの勢いが止まり普通の雨になってきた。
構内放送で、「線路の点検が終わったら発車」と流れたため他の乗客の方々同様に一安心。ところが電車は走り出すことなく雨が又激しく降り始めた。

更に待つことしばし。
今度は乗客の一人だろう、その人が電車に近づきながら「タクシーが動けないらしい」と言っている。タクシーが動けないというのは意味が良く判らない。どちらにしても万が一の事を考えながら電車の中で状況の変化を待った。こうなったらレンタカーを借りて家に帰るか、などと考えていたのだがタクシーのことが気になり駅員さんに状況を聞いてみた。「今のところ運行開始の連絡がない。もし、運行開始としてもその連絡があってから線路の点検で1~2時間かかります」とのこと。タクシーもバスも止まっているようで駅の構外に人があふれている。皆、呆然とした空気が漂っていた。

乗り継いで家に帰らないといけないのだがどうやらもしその乗り継ぐ電車も途中で止まっていたら待つ意味がない。そう思って、乗り継ぐ電車に連絡を入れてみた。なんと「〇〇駅から△△駅まで水没しているので今日中の復旧の見込みはない」と返事が帰ってきた。それでここで待つだけ意味が無いと判った。

考えた結果、逆方向にでも電車が走ってくれたらその途中の駅に叔母の家があるため泊めてもらえばいい、と考え電話をすると叔母は来てもいい、と言ってくれる。しかし、そこまで電車が走らない。
タクシー乗り場もかなりの列だし、しかし並ぶしか方法がないだろう。
ここまで4時間。
そして、最悪の事を考え食料と飲み物を調達した。棚にはお弁当の類はほとんど残っていなかった。


そしてタクシーは運転手の問いかけで、乗りあっているようだ。そこまでする理由があるのだろう。

数台のタクシーが来たが乗りあうための行き先を周りの人に聞くのだが数名はさっさと手を上げて乗る。しかし、不思議なことに、その人の問いかけに聞こえないかのような態度の人がほとんどだった。自分は関係ない、という空気が流れている。更に私より少し前の人が「何処へ行きますか」とタクシーに乗り込む場所が聞き取れずに問うが誰も答えない。動きさえもしない。
数台後、叔母の家のある駅の所まで行くという人が他の乗客に話しかけた。様子を見るとあと一人乗れるところだが誰も手を上げない。私は後ろの方にいたのだが、手を上げてご一緒させて欲しいと頼んで乗せてもらった。
今思うと、後ろの方から手を上げて乗ってしまったがもう少し前の人の中でも乗りたい人がいたのではないかと反省をした。
地下鉄は動いているようなのでそのまま地下鉄に乗り込みバスに乗り継いで家に帰ることにした。叔母のところに泊めてもらうのも考えたのだが、途中がすごい渋滞で雨も前が見えないほどだ。そこを叔父に迎えに来て欲しいと頼めるほど叔父も若くは無い。

なんとかバス停に着くと、人だかりだ。乗れるまでに何時間かかるだろ。が、運のいいことに私の乗るバスは直ぐに来た。ぎゅうぎゅう詰めではあるが何とか5分も待たずしてバスに乗れた。ラッキーかもしれない。駅近辺はかなりの渋滞で一人の乗客が切れそうだったが、何とか渋滞を抜けて走り出した。
そして自宅へ。



乗りあったタクシーは5人で乗ったのだが、全員が今日始めてその駅に行った人ばかりだった。東京の人、豊川市の人、など、遠方の人もいた。見ず知らずの人たちとともに車内からすっかり暗くなった渋滞のライトを見つめる。何かの縁というがその縁だろうか。。。。
その東京から来たという男性は、まさに水没した場所にいて仕事を追えその場を離れると同時に水が押し寄せてきたという。水に飲まれずここまでたどり着いたとのことだ。もし、あと5分遅かったら・・・・と大人しそうなその背中は語ってた。


正直言って、私は孤独を感じていた。そんな簡単にここまで迎えに来てくれる友人もいないだろうし頼むには気が引ける距離だった。弟に頼んでも彼は助けようとはしない。大体のケースで何かを頼むと逆ギレをするというあまり性格もよろしくない。ガメラは免許を持っていない。
そう考えると、助けの欲しい時に助けを得られない部分を感じていたし、他の理由もあって家族はあってないようなものだと感じることが多かった。
次々と乗客が家族に電話をして迎えに来てもらう姿をみて、家族って一体なんだろうかと呆然と考える。
孤独とは何だろ、と考える。
何を頼りにするのだろうか、と考える。
この先はどんな生き方をするのだろうと考える。


タクシーの中で聞いた話は、想像以上にひどいことになっていて名古屋の天白川と庄内川も氾濫しそうで、一部地域は水没しているとのこと。更に、私のいたところは避難勧告が出ていてそのためタクシーも全車引き上げて避難していたらしい。渋滞も相当ひどいもので、乗り合いをしてもらわないと大勢の人を運ぶ時間も限られている状況らしい。
今ここにいる自分の状況に感謝するしかない。


6時間後帰宅した。あとで知ったのだが、私が足止めを食らった場所は水害のひどいところ、つまり激震地だった。
その激震地で過した時間に、色々な事を考えた。もちろん、もう少し適切な判断ができなかったのか、すばやい判断ができなかったのか、という反省もある。
もし、あの時に違う判断をしていたらどうだったのか、と振り返る。
もっと早い時点でここから立ち去る決心をしていたら、と悔いる。
後ろの方からタクシーに乗り込もうとした自分の行動に疑問を持つ。
やっとたどり着いた家は、平和な家だろうか、幸せな家庭だろうか、待ち望んでいた家族だろうか、と考える。




いつものようにしっぽを振って迎えてくれるジュディーとさくらを見るとなぜか、この6時間が一つの人生の縮図であるかのように感じた。
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# by kyouhei414 | 2011-09-21 00:49 | その他
金縛り
人生で初の金縛りにあった。


夜中に身動きが取れなくなり目が覚めたのである。目が覚めたのは寒かったからで、布団をかけなおそうと思っても体が全く動かない。特に手を動かそうと思っても上にも上がらない。
どうしたものか。


しかし、顔は動くようだ。金縛りって顔は動くのか。
そう思いながら、布団の上を見るとなんと布団の上にジュディーが右、さくらが左という形で乗っている。そして布団を動かそうとしてもがっつり爆睡の2匹は動こうともしない。更に悪いことにその布団は左右に引っ張られていてピーンと張った状態なのだ。
つまり、張り詰めた掛け布団が私の上に覆いかぶさり左右にイヌというオモリが乗っかっていて動けなかったというわけだ。





「これがうわさの、金縛りか」
と思った私はアホである。



数日前に、恐怖映像の番組を放送していてつい見てしまった。実際の映像とのことだがまるでホラー映画のようなものもあり、うそ臭いものもあったが顔を手で多いながら手の隙間からしっかり見させて頂いた。
その影響でホラー化した脳みそが”思い込み”を生み出したのである。
恐るべき恐怖映像の影響力。。。。



って、ことにしよう。


今日の一枚
お化けより花火の音の方が怖いジュディー
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# by kyouhei414 | 2011-09-13 00:07 | スピリチュアル
絶叫
ツメきりが嫌いなさくら。

今年の夏も暑かったせいか、外出するのがちょっとおっくうになりさくらの爪切りを私がやることにした。
大嫌いなのは判っているが、しっかりとだっこをしてささっと済ませばさほど危険ではない。

必死にもがくさくらのツメを切った途端
ギャイン
とな。

まるで虐待でもしたかのごとくの叫びよう。あまりに驚いて私が絶叫した。


まさか、生ツメしちゃったか?
謝ることしばし。しかし隠れて出てこない。しばらくさくらの様子を見守るが、ツメをなめているとかかばっている様子は一切無い。
しばらくしてからやっと抱っこができたので確認しようとして足を持った瞬間逃げられた。
が、全く問題はない様子。

あの絶叫は演技半分?
まさか・・・・・・・





騙されたか?

あごの下に花びらをつけてるさくら。
神経質なくせにこういことは気にならないんだよなぁ。。。。。。
ったく
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# by kyouhei414 | 2011-09-02 00:18 | 愛犬