タイトルは親友のあ~やに頂きました。コメントは記事の下のcommentsをクリック
by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は
Bowwow diary
にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・
又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。
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私はニブイ
オフ会がこの土曜日と日曜日にあった。父の闘病が始まって始めて掲示板に投稿をしたのだが、その時に会話を交わしたのがあのじみぱさんとやまとさんだ。その後はずっと掲示板でのやり取りをしていた。他にも掲示板でやり取りをした方も参加し、先週末に会うことが出来た。
正直言って会うことは無いだろうと思っていた。闘病中はお互いに忙しく、その後も皆精神的にはあまり良い状態ではなかった。しかし、タイミングとしては、1年ほど経過した今が一番良かったのかもしれない。
空港でじみぱさんの姿を見たとき始めて会った気がしなかった。皆ずっと知り合いだった感覚になったのである。やはり、同じ時期に同じように闘ってきたという事は顔を見るか見ないかに関わらず、友である。つながりが出来て、そのつながりの中で数年間をウェッブ上で過ごしてきたが、人がつながりを作ることは顔を見なくても心と経験が作り出すものだと判った気がする。

振り返ってみても、やまとさんは温灸器を貸してくれ、じみぱさんからはお茶を頂いた。そして、辛いときには励ましてくれ、明るい話題で笑わせてもくれた。辛いのは自分だけではなく、掲示板の画面を開くとそこにはじみぱさんとやまとさんがいてくれた。父を支えた1年にはこの二人を除いてはありえない、そう改めて感じている。
父も「飲みやすいお茶だ」とじみぱさんがくれたお茶を喜んで飲んでいた。
温灸器をお腹に当て「暖めると痛みが無くなる」と喜んでいた。辛い闘病生活の中で、こうした暖かい心に触れ父が喜んでくれたことは、私にとっても嬉しいことだった。そのときの父の顔を思い出すとやはり感謝の気持ちで一杯になる。

私を支え、父に触れ合ってくれたお二人に、今改めて感謝をしたいと思う。

ありがとう
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# by kyouhei414 | 2005-02-10 16:40 | その他
愛犬
私にとって愛犬とは何であろう? 家に帰るとバカ騒ぎをして喜ぶ2匹を見ると、可愛いのは確かだが、そんな疑問がわいてくる。
今日も外出の帰りにおやつを買って帰った。自分のおやつは切らしても、愛犬のおやつはきらすことが出来ない。ペットショップに立ち寄ったときにふと思い出した。
父の生前中は、おやつは父の仕事だった。私はおやつをあげない主義だったが、父がごっそりと買って与えていたのだ。仕事の帰りに疲れていても愛犬のおやつが無いとペットショップに立ち寄り購入をして帰ってきた。自分がご飯を食べるより先に、愛犬たちにおやつをあげていた。
父がいなくなった今、私がその仕事をしなくてはならくなった。愛犬のためというより、父の気持ちを思いおやつを買ってあげる。

父がいなくなって1年になるが、「いなくなった父の存在」というものがこんな所にでているのだ、と思った。
おやつをあげない主義でも「いなくなった父の存在」を感じるためにもおやつをあげ続ける毎日はこれからも続くであろう
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# by kyouhei414 | 2005-02-06 16:39 | 愛犬
今日、外は雪が降っていた。暖かい部屋にいるジュディーとさくらはそれを知らずに家の中で昼寝をしている。そこで、おトイレの時間となった。で、私はいつものように玄関を開け、2匹を外に出した。
が、2匹は立ち止まった。雪が降っていたからだ。「めげずにおトイレを済ませなさい!!!!!!」と声をかけると一応庭に下りた。が、雪が自分の上から降ってきたとたん・・・・・
玄関のドアの前に走って戻り「ドアを開けて」とぬかしおる。ま、しゃべるわけではないので動作がドアを開けてほしいと言っているようだ、と表現すべきだろう。
なんと情けないことか。。。。。
一般的に「猫はコタツで丸くなる。犬は庭で雪と遊ぶ」ものだ。雪ぐらいなんだ!!!!!寒いことぐらいなんだ!!!!!!セーターを編んであげたじゃないの? 
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# by kyouhei414 | 2005-02-01 16:39 | 愛犬
辛い
ビグさん、かもみーるさんのお父様が旅立たれた。お二人の悲しみを考えると、辛い、悲しい、苦しい、などの気持ちが押し寄せる。
しかし、お二人にとってはよくないことかもしれないが、あんなに一生懸命にお父様のさせになってこられた姿に感動を覚えている。
運命という言葉があるなら、その避けられない運命を前にして人がどれだけのことが出来るのかと思うことがある。天災などの被害にあわれた方々もその運命の被害者とでも言うのだろうか?
しかし、その運命に対抗できるとしたら、人は支えあう、愛情を与え合う事なのかもしれない。
ビグさん、かもみーるさんは、運命という大きな波にさらわれないよう、愛情を一心に与え、支えて頑張ってこられた。飲み込まれそうな大きな波も何度乗り越えたことだろう。小さな並なら跳ね除ける事だってできていた。その、勇敢なお二人の行動は私に心を動かすほどの感動を与えてもらった。
これから、悲しみという波が押し寄せる。その波を乗り越える事ができるとしたら、残された人が支えあい、愛情を与え合うということなのかもしれない。
私では微力であるが、その波を乗り越えるためのほんの少しの力にでもなれたらと・・・・・・・思う。
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# by kyouhei414 | 2005-01-29 16:38 | コラム
転落
さくら、あと階段も2段というところから転落。怪我は無いようだけれど、階段を見ると怖いらしい。又これから階段を抱っこして上がり降りしなくてはならない。
無視して下においておくと、彼女はいじける。全く手間のかかる犬だ。


しかし、犬という動物はいかに丈夫に出来ているかという事も改めて認識。あれが人間なら救急車だろう。私なら骨の数本を折り、2ヶ月ぐらい病院から出れないと思う。怪我が治ってもしばらく階段を恐れるだろうし。が、さくらの場合、根性だけは人間に似ている。



そして、久し振りに髪を切った。10センチは切っただろうか。思ったより短くなってしまった。さぶい・・・・・
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# by kyouhei414 | 2005-01-28 16:37 | 愛犬
O氏の娘さんから
メールを頂いた。非常に嬉しかった。が、恥ずかしかった。それに、勝手なことを日記に書いて少々反省。でも、その時に思ったことを素直に書いておきたかった。

人の気持ちは時間がたつと変化する。記憶も割りと勝手に変化していく。あの時はああだった、という過去をたどって行く場合、自分に都合の良いことは記憶に残っていたり、ありもしないことを色付けしてあたかもあったかのように記憶にしてしまう事だってある。
どちらかというと、記憶はあいまいなものだろうと思う。
しかし、記憶や気持ちが新鮮なうちに書き留めておくということは、後々読み返すと結構新鮮なものになる。

私自身が残した父の闘病記も、実際に闘病をしているときに書いたからこそ意味があると思っている。今、過去の記憶をたどって書くなら、もっと違ったものになる。それは、装飾にあふれて、自分の空想が混じり、時に理想を現実と覚え間違えた物になると思う。
残した闘病記は決して格好のいいものではないし、立派な自分が出ているわけでもない。どちらかというと、自分の弱い部分、辛いだけで何も出来ない自分、ただ呆然とする自分。生きることすら判らない自分。そういうマイナス部分がほとんどだと思う。しかし、それが本当の自分だった。

今日、自分が書いた日記を読み返した。O氏にお別れを言いに行った時の気持ちも本当の自分の気持ちが出ていると感じた。O氏の娘さんはTさんというが、このTさんが私のH・Pを読むと知っていたら、もっと違うことを書いていたかもしれない。装飾に満ち、格好よく書いていただろう。
そして日記を読み返した今、
<今振り返っても、O氏の静かな表情と、暖かい笑顔は素敵だった。
<ただ今は静かに眠って欲しいと願うばかりである。。。。。。

この気持ちにうそがないことに気がついた。
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# by kyouhei414 | 2005-01-26 16:36 |
阪神大震災から
今日で十年。改めて被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
昨年の暮れの地震で亡くなられた方々や、阪神大震災で亡くなられた方、又昨年多かった水害で命を落とされた方、非常に多くの命が天災により奪われてしまった。
一言で「数千人が亡くなった」と言うが、本当は大切な命が数千個無くなってしまった、と表現したい。
ニュースで阪神大震災で娘さんを亡くした方がインタビューに涙ながらに答えておられた。あの方を見たとき、十年と言う月日だけでは、心の傷は癒されないのだと改めて感じた。一体何をどうすれば傷は癒されるのか、と考えても答えは出ない。
復興した町並みにも違和感を感じる。人が戻ってこないのだと言う。きれいな町並みはひっそりとしているらしい。しかし、その町に残った方々は今日を精一杯生きていたら十年たっていた、と表現されていた。
ただ、その方たちの中には「力強さ」を感じる。亡くなられた方々の分まで懸命に生きることが、残された者達の使命なのかもしれない。
そして、天災の後復興すると言うことは、この悲しみと言う傷が癒されたとき始めて完全に終わるのかもしれない。
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# by kyouhei414 | 2005-01-11 16:34 | コラム
父の時計が止まった 1
父の部屋の時計が止まったのは、1月7日だった。こんなに早く時計は止まるのだろうかと、不思議に思ったが止まったままにしてある。この時計がその前に止まったのは父が最後の入院をした頃だった。一年三ヶ月前だ。
そして、1月8日、父の小学生からの同級生のO氏が死去されたと連絡を受けた。ドキッとした。あの時計を思い出す。
O氏と父は毎年同年会や、同級生仲良し6人組で旅行へ出かけたりしていた。旅行から帰るとO氏のうわさをよく聞いていた。タバコも吸わない。お酒も飲まない。非常に品行方正で父はそんなO氏のことを「くそまじめ」と表現していた。
父が発病し、「顔を見るのが見舞いだ」と毎月父に会いに来てくれた。父がホスピスに入院をした後、私は父の友人に父の容態が良くないことを隠していた。弱った父を見て欲しくなかったからだ。しかし私はO氏に連絡を取り「父が会いたいと言っている」と伝えた。「父を見ると辛くなるかもしれない。なので私の気持ちとしては見ないほうがいいとも思う」と付け加えた。
翌日すぐに仲良しグループで父に会いに来てくれた。旅行へ行った写真を父に見せ、いつもと変わらない態度で父に接し、いつもと同じ笑顔で楽しい時間を過ごした。帰り際「よく連絡してくれた。会えてよかった」と言ってくれた言葉に涙した。
父の葬儀で「俺達にはお金を使うな。あいつ(父)が一生懸命意働くのは当たり前だが、そのお金を自分達のためにとっておけ」と気を使ってくれた。
父が亡くなった後も父に会いに来てくれた。父の好きだったたけのこを持ってきてくれたり、父の若い頃の写真をわざわざ持ってきて見せてくれた。その写真を見ながらO氏と父の悪口を言い合い笑った。それまでは辛い父の表情などばかりを思い出し涙していたのに、在りし日の父を思い出す事を教えてくれたのもこのO氏のお陰だ。

そんなO氏が悪性リンパ腫で入院していると聞いたとき、私にショックが襲った。お見舞いしてO氏が以外に元気そうであったことを安心した。別れ際「お父さんに会いに行くつもりでいたがこれでは行けない。今度は会いに来てくれ」と言った。もちろん退院されてからも自宅に会いに出かけた。元気そうであったのに。。。。
お通夜とお葬儀にお別れに行ってきた。
そこで知らなかった事実を知ることになる。このO氏には私と同じぐらいの年齢の娘さんと弟さんがみえる。どちらも結婚をしていないため、孫の顔を見ていないのは、私の父とこのO氏だけだ。O氏は子供達のことに触れる事は少は非常に少なかった。「娘はきれいなんだ」と「持っている株はいずれ息子の物になるが、それでいいさ」ぐらいだ。O氏は株好きではないが、自分の小遣いを株に投資していた。断っておくが小遣いといってもかなりの額である。年収の数年分はあるだろうか。

そのお通夜だが、娘さんは凛として、しっかりとされていた。きれいな方であった。私はお通夜でも葬儀でも涙を流し、みっともない姿をさらしたが、この娘さんは固く口を閉ざし、じっと一点を見つめ耐えているという表情が印象的だった。そして知らなかった事実とは、息子さんは体が不自由だったことだ。細かいことは省くが歩くことが非常に困難であるとだけにとどめることにする。喪主も長男であるこの息子さんは勤めなかった。硬く口を閉ざし、じっと耐える姿は娘さんと同じだった。。。。

この事実を父の同級生も誰もが知らなかった。O氏はかたくなに胸の中にしまっていたに違いない。ご苦労もあっただろうと思う。きっと息子さんのためにと、一生懸命働き、まじめに人生を遣り通してきたのだろう。人にきまじめだと言われようと、残すものを残したかったのかもしれない。そして人の痛みがわかるからこそ、父に対してお見舞いを欠かさず亡くなった後も私たちを気遣う心を持っておられたんだろう。

今振り返ると、このO氏の一言一言に意味があると思える。息子さんのために残した物も、親であるO氏のありったけの愛情だったと思う。

今振り返っても、O氏の静かな表情と、暖かい笑顔は素敵だった。ただ今は静かに眠って欲しいと願うばかりである。。。。。。
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# by kyouhei414 | 2005-01-10 16:33 |
謹賀新年
あっという間に一月五日。振り返ると昨年の一年は何をしたわけでもなく過ぎていった。新聞屋さんのおまけでついてくる占いの本には「飛躍の年」などと書かれていたことを今更ながらに思い出す。ちなみに今年のおまけには「低迷」と書かれていた。
私は簡単なことなら占いをするので、きっと占いには興味があるのだろう。しかし、私のする占いは迷ったときにするもので一年の予告じみたことは占えない。
占いとは占う側に度量がないと結構難しい。達人の域に達すると占いをしなくとも、答えが出ると聞く。それだけ度量があり人生を見る目に長けているのだろう。
私はそこまでは到底到達できそうにも無い。なぜならおみくじで大吉が出るだけでショックを受けるからだ。
なぜ私が大吉にショックを受けるかと言うと「大吉の上には何も無い。あるのは下だけ」だからだ。人は自分の人生が上手く行かないときどうしても上にいる人をうらやんだり、ねたんだりしやすい。しかし、本当は人生が上手く行かない時をどうやって過ごすかにより、次に上に上っていくときの上り方が決まるといってもいい。やけにならず、ひがまず、自暴自棄にならず、運気が上がるときに備えて自分を磨く。そうすれば運勢が上がってきたときには、十分な力が自分にはあるから想像が出来ないほど上にいける事だってありえる。
と、判っていながらそうならないのは、やはり私の弱さでもあるが・・・・
ゴルフの丸山選手が「一年を通じてトレーニングをする。するとある時に結果が出る」と言っていたが、この言葉にはとても深いものがあると思った。それは人生にも当てはまるし、運気が下がったときにこそ、自分を磨くと言うことにも通じる。結果を期待するだけの努力と、努力をしていたから、結果がでるのでは大きな違いもあると思う。
今年の抱負を掲げて頑張るタイプではないが、この丸山選手の言葉を胸に、この一年をはじめたいと思う。
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# by kyouhei414 | 2005-01-01 16:32 | コラム