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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
愛犬の写真は Bowwow diary にもアップしてます。主に失敗作ですが、愛着あるのでついついアップしてしまう私です・・・ 又、こちらに愛犬グッズサイトを始めました。 H・Pに戻る カテゴリ
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最近は、スピリチュアルという言葉を当たり前に聞くようになっている。
しかし、一体スピリチュアルって何だろう? これほど曖昧で意味の掴みにくいものはない、って思っていた。そこで、スピリチュアルの意味を調べていた。 その時、「動物は人間と違い死により全て消滅する。人間は死んでも魂が残る。しかし、可愛がっていたペットは死んだ後に飼い主が来るのを待つ」と説明されたものを目にした。 バカバカしいと思われる方も多いだろうが、少しお付き合いを。 私は元々両親と良好な関係ではなかった。子供の頃はずっとどこかに孤独感を持ち、自分は両親から一部しか愛されていないのではという不安も常に持っていた。その不安は両親を愛するとか、他人を無条件で愛することが怖いという症状を生んだ。 その症状を緩和してくれたのが恭平だった。私に無条件の愛情を向け、それに答えようと愛情を搾り出す自分を知った。恭平は決して物質的なことで表すわけでもなく、言葉で想いを伝えるわけでもない。しかし、表情はもちろん体全体、いや生活全てを私に向けてくれる。そして、その愛情を感じれば感じるほど、無心になれる自分がいた。 文字通り犬バカが出来上がったわけだ。 何匹かペットを飼ったのだが、そういった意味で恭平は私にとって必要な出会いだったのかもしれない。だからその記録を残そうと、私のサイトの「ダックスの恭平」に物語りを書いていた。きっと無条件に愛されることに不安を持っていなければ、わざわざ残そうとは思わなかったかもしれない。 そして、判ってはいても本当に目の前に恭平の死がやってきた。それも父の病と恭平の病、そして2ヶ月違いの恭平と父の死は私にとって深い悲しみを残した。悲しくて苦しく、自分もいなくなってしまえば楽なのに、という思いはしばらく私を苦しめた。guestbookでは同じ経験をされた方がいるので、その方たちと悲しみを共有し、同じ経験を共有した。 あれからこのサイトを消さなかったのはまだ悲しみにについて消化しきれないものがあり、書き残しがあるような気がしていたからだった。私の本当のやりたかったことは同じ経験をされた方、同じ悲しみを抱えた方が、一日も早く悲しみから笑顔になれるようなヒントを書くことだった。 しかし、答えも出ないまま時が過ぎ、そしていつしか目の前の出来事だけしか見つめていない自分になっていた。 それでも、悲しみから抜け出すヒントが見つからないのと同じように、恭平の遺骨を手元から手放せずにいた。夢にも出てこない恭平は今どうしているだろうか。父と一緒にいるだろうか、と思いをめぐらすが見えないことを想像して自分を誤魔化しているに過ぎない。 そんな時、その記事を読んだのだった。 決して無条件に感動したとかではなく、逆に色々な疑問を私に投げかけることになった。疑問などは又別の機会にするとして、簡単にスピリチュアリズムの説明を。 まず、スピリチュアルとは死者とのコンタクトが取れる事を信じる人の事を言う。 どうやってコンタクトを取る? その前にコンタクトが取れるという事は死者はどこかに存在していなくてはいけない。 では、どこに? 死者は体はなくなっても魂が残りそれが天に向かい天にいる。天といのは天国とは違うらしいが、とにかくその世界には自分を守ってくれる霊や導いてくれる霊も存在している。その場所に死者も向かう。 そこで基本的に色々な霊は私たちに語りかけてくれる。もちろん死者も上から見ていたり話しかけたりしている。しかし、五感しか持たない私たちはそれに気づかない。 上の世界の人たちは私たちの使う五感以外がコンタクト方法らしく、私たちの世界との連絡を取るには電話では当然無理だし、あちら側が使える五感以外のコンタクトツールを使うことになる。そのツールはなんと人間なのだ。その人間とはコンタクトツールを持っている限られた人になる。 注意することは霊能者とかそいういう類はここでは別物ということだ。あくまでコンタクトツール役が出来る人の事を言う。 もう一つ大切なことは私たちはこの世界で色々な苦難を乗り越える特訓をうけ、試練から勉強をして成長をすることが目的という事がある。この辺りは霊的な成長とか述べられていていささか微妙な問題なので次回にでもじっくり取り上げるが、大切なのは動物や植物を大切にしたり愛情をかけることは人間に課せられた責任であるということである。 その愛情をかけられた動植物は私たち人間に愛情を与えてくれる存在となる。結果として、お互いに良い関係で成長をしていくという。 魂は愛情を栄養にして成長していくものらしい。 人も動物も死んだ後に体が無くなれば、残るのは魂だけとなる。動物虐待などを繰り返していれば、当然体が無くなった後の魂は愛情という栄養がないので未熟なものだし、愛情を沢山経験したものは栄養一杯で魂は大きく成長する。動物も栄養一杯で成長した魂は飼い主を迎えることが出来るほどの成長した魂になる。 このことはもう少し範囲を大きく見ると自分の周り以外の万人に愛情を与える事で周りを救い幸せにできるという事になる。 とにかく私は愛情をかけてもらったペットが魂を持ち、天で飼い主を待つ、という事は事実であって欲しい。 それは、生きるための希望になるのだ。悲しくて悲しくて辛いほど・・・・という死別の悲しみを抱えると生きることへの疑問がわく。愛する人を奪った天を恨んでしまう。 しかし、これが本当ならば、たとえそれがペットであろうとなかろうと、あふれんばかりの愛情を与え、そして与えられた関係には別れはない。 この死別は今生の別れなんかじゃなく、彼らが自分を待っていてくれるそんないとおしい存在でいてくれるのだ。だから決して別れではない。 自分を置いて先に旅立ってしまった悲しみは、逆に言うと愛情の量と同じである。悲しいという事はそれだけ愛されたことの証明でもある。だから別れは決して無駄ではない。 愛する人が魂だけになってしまったとしても、あなたへの愛情は消える事はない。 もっと成長する事を望んでいるかもしれない。 いや、逆に地上に残っている私たちはこれからも多くの人に栄養を与える使命が残されているという事なのかもしれない。
by kyouhei414
| 2011-01-15 01:16
| スピリチュアル
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