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by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
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中孚(ちゅうふ)
中孚は豚魚にして吉なり

孚(ふ)とは卵が孵化することを意味した漢字。卵はきっちり期日を守って孵化する所から「信(まこと)」となる。中孚とは中心に孚(信)があるということで誠心、真心などを意味する。
この卦の形からしても真ん中が空になっていて、真ん中とは心の中心が空虚、虚心、無心、であることを表していて、つまり心の中心に信があることである。
豚魚とは貧しいものがお供えに使っていたもので、たとえ貧しくとも心の中心に信(まこと)があるなら豚魚であろうと神は嘉納(献上品などを目上の者が快く受け入れること)して福を与えてくれる。


心に信があるなら、言葉など必要とせずお互いに理解しあえる。反対に言うと、心に濁りのある信は通じない。
これは簡単なようで難しい。人間はこざかしいたくらみや、ごまかしが得意である。特に「他人に親切にする」という行為はどこか計算が働くことが多い。「これをしてあげたら、これが得られる」「この行為は親切と受け取られるから」「こうしてあげるから、これを頂こう」など、当たり前のように心の中心では思う。しかし、これらは全て親切とは言わず、思い上がりという。それは自信がありすぎるからで、信も過度になりすぎるようでは凶である。
反対に、親鳥が子鳥を思って鳴くと小鳥はどこにいようが答える、という美しいたとえで易は表現しているが、そのようであれば吉だと教えてくれる。


とある出来事があり、何度も話し合っても通じずもどかしさを感じている。相手に対してどうして理解をしてもらえないのか、という気持ちと、相手がどうして自分を理解をしようとしないのか、という気持ちが入り混じるせいか問題は停滞している。


問題だと思う出来事の中には「理解しあえない」「相手に通じない」事が邪魔になっていることが多い気もする。それに、何も問題を解決することだけが全てではない。誠心誠意が通じお互いに理解ししあえたとき、問題だと思っていたことが実は自分が作り出したお荷物だと気づくかもしれない。
まずは自分自身が無心にならなくてはいけないのかも・・・・・
by kyouhei414 | 2007-01-26 00:18 | 易経
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