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by kyouhei414
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癌・ギランバレー☆闘病記のH・P管理者の日記。
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山火賁(さんかひ)
賁(ひ)は飾りを意味する。象形としては山が夕日に映し出されている様子。「文飾彬彬を得れたれば必ず亨るべきであるが文飾は度をこせば不可であるから、少しいくところによろしい」としていて、この卦は大事は願いが叶わないが、小さなことならかなう、という意味になっている。

なにやら難しいが、人が集まればそこには礼儀という飾りが必要だし、物が集まればそこには秩序が飾りとして必要になってくる。しかし、あくまで飾りは飾りであって物事の本質を変えるまでの力はない。たとえば、いくらお化粧をして飾ったとしても本質的なお肌のシミやしわは消せないといえばわかりやすい。
そして、飾りの落とし穴は飾った姿を本当の姿として追い求め実態を忘れてしまうことや、飾ってだましたつもりが、実は自分自身がだまされてしまった、などということで、本質や実態を忘れたり、見失うことが一番怖い。
たとえば、お化粧をして綺麗になった自分を本当の自分と思い込んでしまい、お化粧を取った顔で鏡を見たとき「誰これ?」と驚くといえばわかりやすい。

それに、山をどこから見るかで評価は変化する。それは飾った姿を見ているからで本質が見えていないだけである。自分の評価が人によって違うのもどこから見られていたかによる違いなのかもしれない。
本質を見抜くことは難しく、人間関係で言うなら相手の本質を見抜こうと思っても同じように自分が飾った姿で相手と接している限りは相手も本質をさらけ出してくれることは望むのも難しい。誰でも見栄えを良くしようと飾りをするし、その飾りにだまされる事だって不思議ではない。飾りと無縁に生きてきた、などという人はいないだろう。
 



「自然の文様、人間の文様、これらを観察して天下の人々を教化育成すべきである」とある。これは自然には剛と柔が混ざりわって飾りあう、人間は秩序によって飾りあう。それらの飾りを観察することが大切だ、という事。
飾りは飾りにすぎないが、その飾りを観察することで得られる事はある。


物事の本質を語るのは難しい。人間はそうして飾ることが当たり前であるし、アクセサリーをつけたがるのが本質なのだ。ただ、アクセサリーをつけたところで所詮飾りにすぎず、それ以上でも以下でもない。
そして、相手がアクセサリーを外し飾りを取ってしまった姿を追求したがる傾向もあるがそれは想像するだけのことで得られるものは少ない。どちらかというと相手の飾りのペースに巻き込まれているのかもしれない。
むしろ、アクセサリーが何か、どんな飾りをしているのかを観察することの方が必要なのかもしれない。
by kyouhei414 | 2007-02-25 00:20 | 易経
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